春のセンバツ。
2年ぶりに繰り広げられてます。
練習もままならない中での一年、
突然に目標を奪われた中での一年、
その壁を乗り越えてきた精神力の強さがみなぎる試合が多く、
見ごたえ十分です。
本人たちの苦悩や言葉にならない思い、
いろいろあるに違いない。
見ているだけの人は簡単にそういうけど、というところでしょう、ホントに。
でも、おばちゃんやおじちゃんは君たちのそのまっすぐな姿に、
めっちゃ励まされてるよありがとう、と心から言いたい。
逆転からのさらに逆転、
ここ一番での渾身の一撃、
気迫の一球、
どれもこれも熱いぜ!!!
冬のあいだに、須賀しのぶさんという作家の、
高校野球を題材にした本を2冊読みました。
一冊は、『夏の祈りは』。
以下amazonからあらすじ抜粋 ↓
文武両道の県立北園高校にとって、甲子園への道は遠かった。格下の相手に負けた主将香山が立ち尽くした昭和最後の夏。その十年後は、エース葛巻と豪腕宝迫を擁して戦 った。女子マネの仕事ぶりが光った年もあった。そして今年、期待されていないハズレ世代がグラウンドに立つ。果たして長年の悲願は叶うのか。先輩から後輩へ託されてきた夢と、それぞれの夏を鮮やかに切り取る
これ、良かったです。めっちゃ。
この、須賀しのぶさんの本は何冊か読んでいるのですが、
この人の書く高校野球はほんとにリアル。
なんでこんなに人の心がわかるんだろう?
須賀さんあなた、選手でしたか?と聞きたくなる。
過去に、社会人野球を題材にした本も読みましたが、
これもまた骨太にしっかり書かれた本でした。
この作者さん、ほんとにすごいんだよなー。
2冊目も同じく須賀さんですが、『夏空白花』。
以下、同じく抜粋 ↓
1945年夏、敗戦翌日。
昨日までの正義が否定され、誰もが呆然とする中、朝日新聞社に乗り込んできた男がいた。全てを失った今だからこそ、未来を担う若者の心のために、戦争で失われていた「高校野球大会」を復活させなければいけない、と言う。
ボールもない、球場もない、指導者もいない。それでも、もう一度甲子園で野球がしたい。己のために、戦争で亡くなった仲間のために、これからの日本に希望を見せるために。
「会社と自分の生き残り」という不純な動機で動いていた記者の神住は、人々の熱い想いと祈りに触れ、全国を奔走するが、そこに立ちふさがったのは、思惑を抱えた文部省の横やり、そして高校野球に理解を示さぬGHQの強固な拒絶だった……。
戦中、芋畑となった甲子園球場がいかにして復活したのかを描いた物語です。
これを読むと、過去のこういった、力を尽くしてこられた方々に頭が下がります。
高校野球ばっかり特別視されてると言われがちですが、
やっぱりこれだけの熱意を持った人たちがいて、
みんな、だれもかれも何もなくした時代にあって、
終戦からちょうど一年後の昭和21年8月15日に再びの高校野球選手権が開幕した、
これは、これだけ駆け回った人たちの熱意の結果だったんだなと感じました。
後楽園球場は、終戦直後は無用となった武器の捨て場となっていたんだそうな・・・
それを必死でどうにか片づけたと思ったら、
おもだった球場は進駐軍(GHQ)の余暇の野球のためにどんどん接収され、
貸してもらうことさえできない・・・
フィクションではあっても、ノンフィクションの部分もこれはかなりあるのでしょう。
また、時代に翻弄される人々を、見事に描いているなと感じました。
須賀さん、あなたタイムマシーンで戦直後に行ってきたんですか?
と聞きたくなる。
この、ボールもバットも全部ない時代に、
古畳を着て審判をやり、
闇市で偽物のボールを買わされそうになったり・・・
と、当時の様子をどこまで調べたのかと、本当に驚くほどの資料を基に書かれています。
今は本当に恵まれているよね。
ボールを縫って使う高校なんてあるのかな。
コロちゃんですっかり様変わりした世界の様子。
高校野球だけじゃなくインターハイやその他、演奏会、コンクール、
ことごとく、部活動一般が去年一年は、この犠牲になりました。
若い人たちからは、いろいろ取り上げないでほしい、とつくづく思います。
大人は我慢すればいいんだよ、
宴会だの旅行だの、行けないけど、やっぱりここはしょうがないよ。
だって、私たちはさんざん青春やってきて、
当時いろいろ楽しんで自由にできたんだもの。
きっとそのうち、また日常が戻ってきます。
世間の大人、偉い人たちは、もっと子どもたちのために頭も心も使わないといけないよね。
そんなことを思う球春です。