長男の学校で学力診断テストがあったらしく、
それで、今回は順位なんてのが個々に知らされたようで。
びっくりしますよね。
小学校でクラス順位が出るなんて・・・。
その必要ないと思うんだけどな・・・。
中学校以降は、ずっと順位が知らされるんだから、ということらしいです。
なんという世知辛さ。
知らなくていい世界は、その時になってからでいいんだよ。。。
人数めっちゃ少ないんだしさあ。
それで、友達同士で学期末の通知表も見せ合うようなクラスだし、
順位も当然見せ合ったそうな(笑)。
隠したい子はいないんか?
というツッコミは男子には通用しないらしいですね。
順位がわかって、子どもたちはどういう心境になったのか?
そこが問題です。
努力の結果が報われて、それを励みにさらに高みを目指せる子もいれば、
劣等感を感じる子もいるでしょう。
順位の発表は、結局その二分化をさらに強めているように思えます。
勉強が得意な子はもっとやるだろうし、
苦手な子はさらに勉強嫌いになるでしょう・・・。
そこまでのフォローができてはじめて、順位なるものを公表するべきじゃないのかな?
と母ちゃんは思うのですが。
勉強ってじゃあそもそもなんのためにするんだ?
っていうのが根本だと私は思うのですよね。
それで、テストってなんのためにあるんだ?ということです。
自分がつい数日前までテスト地獄だったからよくわかるけど、
テストってのは、自分が何を理解していて何を理解してないのかを把握することなんですよ。
つまり勉強がわからない、というのは「どこがわからない」かを見つけることが
いちばん重要です。
どこがわからないかわからないってのは、私も学生時代に常にその状態でしたが(とくに数学)、
科目自体を嫌いになったら、それを理解しようという気持ちにもなれないんですよね・・・・。
勉強ってのは発見であって、
そっから根が生えて、枝葉が広がってはじめて自分のものになる。
知識をガンガン詰め込んでも、容量オーバーだったらこぼれて消えるだけです。
私と父ちゃんは、その「学校で順位が知らされた」というのを聞いて、
「他人の評価はあてにならん。」
「数字で測ることのできるものは、何の役にも立たない。
目に見えないものこそ大事にするべし。」
とバッサリ。
勉強はできたほうがいい、ガンバレ!と、順位を知らされたときに先生から講評があったらしいですが、
「そういう問題じゃないよな~」と長男も言っていたので、
長男は、親が常々発しているアウトローなメッセージはきちんと受け止めてくれているようです。
「めっちゃ勉強できるより、めっちゃ料理できたほうが便利じゃね?」
とは長男の弁。
はい、その通り(笑)。よくわかっててえらいです。100点!