イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

14万とおりのくやしさを想像してみる

甲子園の春夏通じての大会中止が決定になりました。

高校野球が大好物の私としては、

心から、心から残念です。

今年の正月に掲げた抱負(?)は、地区予選を見に行くことだったので。。。

 

今日の毎日新聞にも、一面、スポーツ面、社会面、茨城県版の計4面にわたって

このことについて記事が書かれていました。

それぞれの、選手の言葉や、監督の言葉、著名人の言葉、

関係者サイドからの声などなど、

とにかくいろんな声が掲載されていました。

 

大会開催する側の思いと考え、リスクに対してどうするか云々、

読みながら「たしかにそうだわなー」と納得。やむを得ないという一言に尽きます。

インターハイも中止になった今、これは野球だけに限らず、

すべてのスポーツで同じということです。

 

選手サイドの声、応援してきた家族の気持ちを読んでいて

”もし、自分が今年高校3年生で、最後の夏だったら”

そんな思いがわいてきたとき、

想像しながら鼻の奥がツンとしました。

大会で、負けて終わるのはどれだけ悔しくても切り替えができる。

でも、戦わずして引退というのは・・・・

やっぱりずっと、しつこく一生、心残りがつきまとうのではないかな、と。

終えなければいけないもの。

一生、高校生でい続けることはできないし、

いつかは卒業しないといけないのは百も承知だけれど、

その幕切れの悪さは、

思い出すたび、一点のしみのようになって残るのではないかな・・・。

 

そして、それを想像しているうちに

埃っぽいグラウンドと緑色の防球ネットの20年近くも前の記憶とともに、

”自分が今年、最後の夏だったら”

の次に

”こんな状況で、引退をしなければいけない先輩たちを見送る。”

を考えたときに、

「これは本当に辛い」と背中を思いっきりつねられたような思いがしました。

だって、「かける言葉がみつからない」んです。

自分たちが、先輩の分までがんばります?

今までありがとうございました?

・・・想像してみます。

最大の目標を断たれた人を前に、

これから目標が達せられるかもしれない人がかける言葉なんて、

あるんでしょうか・・・・?

 

全国に14万人もいるという高校球児の、

14万とおりのくやしさを想像してみます。

日々、弁当をつくり、ユニフォームを洗ってきた家族のくやしさも。

 

大人ができることは、なんでしょうか。

こんなとき、自分に何ができるのか。

かつて、思う存分やりきれるその現場にいさせてもらった一人として、

それが当たり前で疑う余地もなかった時代に、

好きなだけ自由にさせてもらった者として、

彼らに対してできることはあるのかな、と・・・。

 

今朝からそのことが、重低音のように心の底のところで低く小さく鳴っています。