約10年ぶりに「竜馬がゆく」を読み始め、
ここ二週間ほど読書ばかりしている私。
10年も経つと内容は殆ど忘れてしまい、初めて読むのとあまり変わらない。
寝る支度を整えてから、
子どもたちにふんづけられながらも布団の上でゴロゴロして読むのが大好きです。
読書の秋ですね~。
暑いときは、本のページすら汗で指にくっついて不快だものなあ。
10年前当時読んだ時は、竜馬の闊達で自由な人柄はよ~く理解できたけれど、
今思うと複雑な歴史的背景はわかったようなわからなかったような・・・・?
父ちゃんの修行の都合で京都に移り住むことになり、
寺田屋のある伏見と市内の距離感、
御所と嵯峨嵐山の地理的遠さ、
などなどを実体験として得(地名を言われてピンと来る)、
また、その後の読書で得た歴史観(特に半沢一利氏の幕末史!)、
火の鳥文庫の伝記を子どもと競って読んだこと・・・
私はもともと幕末に興味が出た導火線が土方歳三だったために、
当時どうも心理的に長州派維新志士を毛嫌いしていた部分がありました。
なので、吉田松陰と高杉晋作を理解したいと思う気持ちが薄かったのです。
(でも、火の鳥文庫で読んだらすごく面白かった)
あらたに向き合ったからこそ、
10年経てなお違った物語として感じられるのだ、
と思えてきました。
人間、不思議なものですね。
これは、子ども時代に苦手だと思い込んでいたミツバやミョウガが、
急に好物になるような感覚と少し似ています。
さて、坂本竜馬ですが彼の人柄は小説なので誇張してある部分は多いにあるとしても、
やっぱり面白いのです。
竜馬はことごとく人から好かれ、
着物はよれよれ、頭はぼさぼさだったようですが、
それでも、女の人からも男の人からも大変に好かれたようで、
その、人を惹きつける人柄はどこから出たものかと、読みながら考えていました。
これは私の考えですが、
5人兄弟の5番目として生まれ、
家族からとても可愛がられて育てられたことが大きいのではないかな、と。
母親とは早くに死に別れたのですが、
そのぶん、乙女という姉が母親代わり以上として竜馬を育て、
またほかの家族、家の使用人からも出来が悪いために大変に可愛がられていたようです。
竜馬は「受けた愛情のぶんだけ、まわりの人を愛せた」のではないかな、と。
無条件に自分を信じてくれる姉の存在は相当に大きかったでしょう。
同じ本を二度以上読むということは私はあまりしないのですが、
今回読んでみて
子どもを持つ前と、4人育てたあと、
また、時代は違えど竜馬の年齢を越えてみて・・・
読みどころのツボはこんなにも変わるものだな、と驚いています。
最終巻まであと2冊。
最後まで楽しめそうです。