イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

友達の引っ越し

小学校以来の友人もじが、旦那様の郷里へと引っ越してしまい早10日。

私は、自分が引っ越す側は何度も経験しましたが、

残る側になったのはほんとに数少ない。

残される側ってのは、さびしいもんですね、ほんとに。

予定していたわが家でのお別れ会も、

残念ながら二男の高熱でキャンセルとなり、

尻切れトンボのまま、

玄関先で「じゃーね!元気でね!」と。

車に乗ったままの彼女の子4歳の顔を見に行ったら、

「あした引っ越すんだよ!」と元気に言うので、

かえってそれがせつなくて泣きそうになりました。

 

私たち家族が遠方にいたときも

もじとは私の帰省のたびに会っていましたが、

こちらに私たちが戻ってきてからは、

子どもたちもいっしょに遊べるような年齢になったこともあり、

1か月に1回くらい会っていたのかな~。

 

もじ母子が遊びに来てくれるときはお決まり、

おにぎりセルフサービスお昼ご飯。

ご飯だけ5合とか鍋で炊いて、

冷めたら子どもたちに握らせます。

とにかくこの、おにぎりの食べっぷりがすごい!

うちの長男も食べるけれど、

もじんちの長男も食べる(笑)

下のきょうだいに、母ちゃんたちが握ってやるのに忙しくしていると、

じきに釜の底が見えてきて、

母ちゃんたちも「まずい、自分のぶんがなくなる・・・」

とあわてて自分の口へおにぎりを運ぶのです。

ああ、これも今度またもじたちが帰省するときまでおあずけです。

次に会うときは、またみんな大きくなっているんだろうなあ。

 

今頃新居でどうしているかなー・・・なんてぼんやり考えながらいたら、

ふと、小学校時代の思い出がたくさんよみがえってきました。

思えば小3~小6までずっと同じクラスで、

中学校も2、3年と同じクラス。

担任の思い出も、クラスメイトの思い出も共通です。

好き嫌いの多かったもじは、給食のメニューに嫌いなものが出ると

「あげる」と言ってよく私の皿に放り込んできました。

缶詰の黄桃が出たときにもじは「なにこれ!」と言って黄桃を見つめているので、

え、桃だよ知らないの?!と私は逆に驚きましたが、

「食べたことないからいらない。あげる」とデザートの桃の半割を私の皿によこしたのをいまだによ~く覚えています。

中学生になると”牛乳残さないで飲みましょう”という先生の方針がゆるくなったので、

「いらない」と言って牛乳をたびたび、私にくれました。

私はもじの分まで牛乳飲んでましたっけ。

運動会の練習なんかのあとには、一気飲みしてましたっけ。

懐かしい。

家庭科の授業では縫い物の課題が出るとぜんぜんできなかったもじ。

よく代わりに縫ってあげておりました。

調理実習でやけどする、とか、

校庭で転んで顔面打って前歯が欠けた、とか、

ドジなことばかりしていた彼女の思い出。

マラソン大会の当日に、走っている最中ぜんそくの発作を起こしてしまい、

私の目の前で倒れたことも周りの景色とともによく覚えています。

 

毎日は何にも特別でなかったけれど、

毎日飽きずくだらないことやって、学校それなりに楽しかったなあ~。

いじめっこもいたし、

嫌いな友達もいたけど、

でも、それなりにうまくやっていたなあと思います。

小学校からの友達って、

お互いの親の顔もじーちゃんばーちゃんのことも、

きょうだいの顔も名前もぜーんぶわかっちゃってる。

大人になってからもいろいろ気を使わないし、

相手の話の間合いやツボもよ~くわかってる、

そんな感じがします。 

学生時代って、友達と出会うためにあるんだろうな、

もじのことを考えながら、

そう思いました。

 

彼女が住んでいたアパートの近くを通るときが、今はいちばんさびしいです。

しばし会えないけれど、

無理せずがんばれ、もじ!