昨朝の毎日新聞朝刊に、
おもしろいことが書いてありました。
読める方は記事を読んでみてください。(会員外は途中までしか読めないかも・・・)
要約するとこうです。
個人の基本的な人生観や世界観は、思春期から20歳ごろまでにつくられるらしい。
その後の人生での経験や変化に応じて行動や発言を変えていくものの、
考え方の基本は変わらないようだ。
こないだ、女性蔑視発言で世間からたたかれまくった森氏。
このかたの思春期~20歳ごろといえば戦前。
そうなると、その価値観はずっと刷り込まれている。
変えようと思っても、変えられない。
これは森さんがどうこうじゃなく、そういう時代に生きてたんだからやむを得ない部分はある。
ただし問題は、本人が世の中で重要なポストにいるということ。
積極的に世代交代していかないと、世の中をアップデートできないということになる。
世代間ギャップはやむを得ないけれど、それが世の中の弊害になるようでは問題だ。
社会を動かす人は、世代交代を意識的にしていくべきだ。
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記事の中に、「思春期~20歳のあいだにアメリカのある地域に住んでいた男性を集め
ある実験をした」というのがあるのですが、
長いので、これは、この文章の最後に記します。
興味のある人は読んでください。
私が上記の記事を読んで思ったこと。
それは「親がやっぱり背中見せないとな」
ということ。
私は自分自身が育った場が典型的な亭主関白な家庭で、
あまりそれに疑問を持たずに過ごしていました。
どの家もみんなそうだと思っていたからです。
結婚して、結婚相手の実家も亭主関白で、
だから最初からお互いに、家庭は男が強くて女が発言権が弱い、そういうものだと思っていた部分はありました。
母ちゃんが我慢するのは仕方がない、と。
ただし、世の中は変わっていきましたね。
そんで、4人も子ども産んで、そのたびに強くなって自分も変わりました。
自分で仕事を持ってお金を稼げるようになって、そういう面でも変わりました。
男女関係なく対等にモノを言うのがいかに当たり前であるかを、
家庭内で子供たちに見せておかないといけないよなあと感じます。
余談ですが3年前に放送大学での勉強を始めるときに、
自分の母から「もっと子どもが大きくなってからにしたらいいじゃない」
と文句を言われたことがあります。
「あなたは母親なんだから」という暗黙の非難めいたメッセージがそこにはあったよな、
という気がしました。
これも、母がわるいとかそういうことじゃなく、
母はこうやって若いころ、やりたいことを我慢してきたんでしょうねきっと。
「子どもが大きくなったら私もばーさんになっちゃうんだよ」
と笑って、私は勝手に大学の勉強を始めてしまったのですが(笑)。
世代間で継承しなくていいことは、私の代で終わりにしたい、
と私は感じます。
世の中のアップデートを期待するより、まずは自分のアップデートから!です。
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実験の話。興味ある人はどうぞ。
アメリカ南部育ちの男性は、日常のささいなことでも自分への挑戦や侮辱とみなし、
そのけんかに勝つことが重要と考えている。(攻撃性が強い)
一方、北部育ちの男性は、そういった状況で勝負を挑む、挑まれているとは考えない。(攻撃性は弱い)
これはどのようなことなのかを実験的に明らかにするために、
生粋の南部育ちと北部育ちの男性を被験者として集めてある実験をしてみた。
単純な質問に回答するという実験なのだけど、
この実験の最初に、唾液を採取。
それで、質問の回答用紙を回収・・・・・するのだけど、ここが重要。
回収箱にたどり着くまでに、狭い廊下を通り、廊下には書類棚があって、
研究者たちが調べものをしている・・・・
そこを無理に通り抜けないと、隣の部屋の回答箱にたどり着けない。
実験のミソはそこで、その調べものしている研究者たちがわざと低い小声で
「まったくもう!」と文句を言う。
実験の目的はつまり、この「まったくもう!」を侮辱的発言と受け取るか受け取らないか、ということ。
この、回答用紙を回収後にまた唾液を採取。
すると、南部出身の男性はテストステロンという男性ホルモンの値が激増。
北部出身の男性は変化なし。
南部出身の男性は
「まったくもう」→”挑発”→”受けて立ってやろうじゃないか”
となってしまう。
ただし、思春期から20歳頃まで(つまり子ども時代)に住む地域が変わった人に関しては、この傾向が出なかった。
逆に、思春期から20歳以降に他の地域に移住した人(つまり大人になってから古里を出た人)は一生、この傾向(攻撃性)は変わらなかったとのこと。
このことから、思春期から20歳前後の人生観、世界観は一生持続するものだということがわかった。