イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

台風19号避難記録

娘が、台風の翌日に「台風の日のこと作文にしたい」と言ったので、

書くことにしました。

担任の先生にしばらくあずけていたのですが、

手元に戻ってきました。

改めて読み返すと、その日の様子がよみがえるよう。

私の感じていたことも補足しながら、娘の作文を紹介します。

太字が、娘の文です。

 ***

10月12日㈯、もうれつなたい風がきて、わたしの家では、雨どをすべてしめました。

家の中は、でん気をつけないととてもくらくて、一日中朝か昼か夜かわからないかんじがしました。

雨と風がとてもつよくてそとに出られないので、

きょうだいで「ドラえもんのび太スペースヒーローズ」のDVDを見ていました。

もし、ていでんしてもあそべるように、金曜日の夕方にお母さんとUNOも買ってあったので、

きょうだい4人とお母さんでなんどもUNOでしょうぶをしました。

兄が何どもズルをしてかとうとするので、そのたびにけんかになりました。

かってにちがうルールを作るので、わたした、頭の中でのうみそがぐるぐるまわっているようにかんじて、

兄はとてもいやな人だなと思いました。

 

 昼12時。

風雨はどんどん強くなる一方。

天気予報を見ると、千葉では竜巻が起きたらしいとのこと。

竜巻がきたらひとたまりもないな・・・。

天気予報によればどうやら15時~16時が雨のピークらしい。

昨晩の残りのハヤシライスを食べながら、父ちゃんと、市のハザードマップを確認。

朝の情報では、すでに総合体育館は自主避難の人のためにあいているとのこと。

ハザードマップでは、川の決壊の場合、わが家の地域は浸水するらしい。

とりあえず早めの避難が必要そうだな、と心の中で思いながら。

家の敷地内の下水マスが落ち葉などで詰まっていないか何度も確認。

とりあえず下水は無事。

 

15時。

群馬県の、利根川の上流のほうですでに支流の川が氾濫しそうだとの情報。

何度も河川情報と市の避難情報をチェック。

雨戸を叩く風と雨を、チビ太が怖がる。雨戸も窓もしめているのに、カーテンが揺れている。

だんだんと夜が近付いているので、停電に備えて電灯類を準備。

下水マスを見に行くと、やはり落ち葉やゴミが詰まったのか、

玄関前に10cmほどの深さの水たまりが。

ここが流れないと玄関が浸水して大変なことになるので、上だけカッパを着て外へ。

ごみを取り除くとみるみる水が流れたので一安心。

ほっとして玄関に入り自分のジーパンを見ると、

ほんの3分くらいしか外にいなかったのにびっしょびしょ。

「普通のシャワーよりもすごい勢いの水だもん、当然そうなるよ」

と父ちゃん。

 

夕方になり、雨と風はますますつよくなりました。

あまどがガタガタなる音がとてもこわくて家がこわれたらどうしようかととてもしんぱいでした。

早くつぎの朝がくるといいのにとおもいながらすごしました。

早めにお風ろに入ってすぐ、けいたいでんわでひなんのおしらせの音がなり、

わたしはびっくりして手と足がうごかなくなりました。

とてもこわかったです。

おしらせを良く見ると、わたしがすんでいるとことろは少しはなれていたので、ちょっとあんしんしました。

いつでもひなんできるようにじゅんびすることになり、わたしは家ぞくと、きがえやたべものをカバンにつめました。

それから、もっていけないだいじなものは、ぜんぶ2かいに上げることにしました。

ランドセルや、学校で作ったさくひん、きょねんなくなったおばあちゃんからもらったぬりえの本も上げました。

 

16時。

早めにお風呂を済ませたほうがよさそうだなと思い、順番に入浴。

娘と入浴中に、なんだか地域の防災無線で音がした気がする、と思い、

何か音がしなかった?

と家族に聞くと「雨と風が強くてよくわかんない」と。

防災無線で流れたアナウンスをもう一度聞けるフリーダイヤルにかけると、

混雑しているのか繋がらず。

と、そのうちに私の携帯と父ちゃんの携帯が聞き慣れない警報音を発信。

緊急地震速報の音も私はものすごく苦手なので、

心臓が口から出そうなくらいに驚いたけれど、

子どもの手前、不安にさせてしまうよな、と思ってつとめて気にしていないふうに振舞う。

表示を良く見ると

『避難準備・高齢者等避難開始』とのこと。

該当地域を見ると、自分のところの地域名は見当たらず。

”でもこれはいずれ、ここの地域も出るかもしれない”

と腹をくくり、子どもたちに説明。

「もし、もっと台風がひどくなったら、川の水がこっちにものすごい勢いで流れてくるかもしれないから、その時は家じゃない別の場所に避難するよ。

 いつでも避難できるように、自分のリュックに、下着と服を詰めなさい。

 それから、自分がとっても大事にしているものも入れていいよ。」

 

子どもたちが各自で荷造りをしているあいだに、

自分は、保険証や通帳などの貴重品をまとめる。

濡れて困らないよう、母子手帳も4冊まとめてジップ袋に入れる。

「おかーさん、ランドセルは?」

と長男にたずねられ、

「ランドセルと教科書は流されてもどうにかなるよ。

 むしろ流されたら勉強しなくてすむかもよ」

と笑ったら

「二階にあげとく。」

とな。

長男をみならって、下の3人もランドセル・園リュックなど二階へ。

えらいねえ。

「おかーさん、ウルトラマンのぬりえもってく?」

とチビ太。

ほかのきょうだい全員から

「それはいらねーだろ!」

とすかさずつっこまれる(笑)。

万が一の事態にそなえて、非常用の食糧も二階へ。

ふだん、けんかばかりしているけれど、

この時ばかりはきょうだい4人が全員で協力していました。

自分の荷物のあとは、下のきょうだいの荷造りを手伝い、

下のきょうだいもおとなしく言うことを聞いていました。

 

準備がすんだあとにみんなで夕はんをたべました。

たべながら、ひなんするときのことを家ぞくでしゃべりました。

うちには、犬がいるのですが、ひなんじょにはつれていけないし、

でも家ぞくだからおいていくことはできないし、

みんなでどうしたらいいか考えました。

そのけっか、車でいっしょにひなんじょにいき、犬には車の中でまってもらうことにしました。

 

そうこうしている間に、たったの一時間で避難準備が避難勧告へ切り替え。

幸い、まだわが家は該当地域外。

父ちゃんが作ってくれた夕飯を食べながら、

万が一、避難の時は大五郎をどうやって連れて行くかみんなで相談。

長男が

「玄関の魚、連れていけないよね?」と。

父ちゃん

「全部、川魚だから平気だろ。泳いで生きのびるよ。」

あ、そっかとみんなで納得。

 

夜7時をすぎてもっと雨と風がつよくなり、ていでんしたらこまるのでかい中でんとうをよういしました。

わたしは、家の中が雨や風でめちゃくちゃになったらどうしようと思って、

一人でドイレに行くこともできませんでした。

たい風じょうほうを家ぞくと見ているあいだにわたしは、いつのまにかねてしまいました。

 

テレビがないからどうしたもんかな、と言っていたけれど、

NHKがオンラインで7時のニュースを放送していることがわかり、

それで確認することに。

あちこちのダムが緊急放流するというニュースが続々と入ってきて、

暗い夜のダムなのにごうごうと白い水煙をあげて水を吐き出している現地の映像も流れる。

これだけですでにこんなに水が流れ出ているのに、

さらに大量の水を吐き出すの?!と恐れおののく。

「早くあしたのあさになってほしい」とつぶやくちゅーたん。

「だって、明日になれば、もうたいふうはだいじょうぶでしょ。だから、はやく明日になってほしいっておもうんだよ。」

本当にそのとおりだね。

ついに入間川決壊。

寝てしまった下3人を布団にうつしながら、父ちゃんが仮眠。

「交代で起きてれば大丈夫だろ」。

一時間ほど仮眠して起きてきた父ちゃん。

交代に私が眠ろうと思い布団に入るも、

気持ちがざわざわして寝付けない。

長男は、「日本じゅう、無事でありますように」

とつぶやく。

自分だけ、じゃないところがやさしいね。

布団で横になりながら、

万が一、利根川決壊の場合はどこが切れるだろうか?などと思ったり。

小学生の時に、伊勢湾台風のことを書いた本を読んだことがあったなと思い出し、

その本の中で、夜中に布団がふわっと浮いたかと思って目がさめ、そうしたら30分もしないうちに水が来た、という場面があったことも思い出す。

 

結局眠れずに起き出すと、NHKでは次々に川の氾濫情報。

テレビでは「特別警報が出ています。ただちに命を守る行動をしてください。」と繰り返すアナウンサー。

これは非常事態だ。

いったいこのあとどうなるのか、だれにもわからないという不安。

なんでも起こってしまいそうな恐ろしさ。

もちろん、東京のビルの中でリアルタイムで放送しているアナウンサーも

家族の身を案じながら仕事しているのだろうな、などと思いながら・・・。

父ちゃんと、この雨の中の子連れ避難はしんどい、という話になり、

避難所に行くより二階にあがるほうが賢明か、と相談。

避難用に玄関に集めてあった荷物類をすべて二階へうつす。

万が一のときには、大五郎もケージごと二階へあげることにし、

そのスペースも確保。

 

23時に雨がやむ。

父ちゃんは少し安心したのか「おれ、寝るわ」と。

私も、疲れていたので父ちゃんのあと時間差で布団に。

うとうとしはじめたところで、避難速報のアラームで飛び起きる。

ついに来た、”避難準備”。

気持ちを落ち着かせようと思ってトイレに入るも、緊張で手足が震える。

こんな恐怖ははじめてだな。気が付けば奥歯もガチガチ小さく鳴る。

子どもたちも私も、川の水で死ぬわけにはいかない。

川が決壊したら、どこまで水が来るだろうか?一階の水没だけでまぬがれるか・・・?

父ちゃんはよほど眠かったのかびくともしないので揺り起こして

避難準備情報出たよ」と。

市のホームページを見て避難所を確認しながら、「私は避難するほうがいいと思う」と主張。

二階に避難するか、避難所に行くか父ちゃんは5分ほど迷ったけれど、避難所に行くことに決め、

二階にあげた荷物をすべてまた階下におろしてきて、車に詰める。

「”避難準備”が、”避難勧告”になった時点で子どもたちを起こして乗せる。」

と父ちゃん。

異変に気付いた長男が起きて来て、状況を聞いてすぐに手伝ってくれる。

父ちゃんが車に荷物を積むあいだ、

長男は電話機やプリンター、パソコンや炊飯器など小型の電化製品をすべて二階へあげてくれ大助かり。

11歳、こんなに頼もしいとは。

 

つぎにめがさめたときは、よなかの12時で、おとうさんが

「とね川がきれそうだからひなんするよ。」

と言いました。

わたしはそれをきいて、とてもびっくりました。

とね川のていぼうがきれたらいのちはたすかるのかな、家はどうなるのかなと思って

しんぞうがどきどきして、のどがからからになりました。

長ぐつをはいて車にのりました。もちろん犬ものりました。

しゅっぱつするときに、くらいそらにきいたこともないサイレンの音がなりひびいて、こわくてこわくてなきそうになりました。

 

0時過ぎ。

ついに子どもたちを起こして車に乗せる。

玄関でちゅーたんが長靴をはきながら

「なんだかからだがガタガタしちゃうの。なんでだろ?」

と言ったので、じっさいはよほど怖いのだろうと想像して、大丈夫だよ、と言いながら片手で抱きしめる。

怖いだろうに、「こわい」とは一人として言わないのがえらい。

真夜中に起こされて、煌々と電気のついた玄関で靴をはいて”どこか”に行こうとしている・・・

普段ではぜったいにありえないこの状況が、

なんなのか子どもなりに感じているのだろうな、とも。

玄関をあけると外では生ぬるい風が吹きすさび、

さっきまで荒れ狂っていたあの雨は嘘みたいにあがっている。

風で揺れる玄関前のバラの枝の先、直線でいえばその向こう数キロ先に、利根川がある。

今まさにあふれそうな利根川

月すら出ていそうだな、不気味だ、と紺色の空をながめたときに、

今まで聞いたこともないようなサイレンが一斉に鳴り響き、震えあがる。

”決壊か?”との思いがよぎったきに、裏の家のKおじさんが来てくれ

「どこへ避難する?おれたちは北中方面まで行こうと思う」と。

「うちはS中に行こうと思ってる」と伝えると、そうか、とKおじさん。

父さんが「たしかに、北中のほうが浸水地域としては安全なんですよね・・・おれたちも北中にするか」と。

Kおじさんは、元市職員なので、こういうときはおそらく私たちより正確な判断ができるだろうと父さんはこのとき咄嗟に思ったとのこと。

荷物と人間のひしめくあいだに大五郎を乗せる。

大五郎も、なんとなく緊急事態を察してかとてもおとなしく乗車。

Kおじさんと、無事でね、と声をかけあって別れたあと、家のカギをしめて車を発進。

 

わたしたちは、北中学校のたいいくかんにひなんしました。

たいいくかんの中はでん気がとてもあかるくてほっとしました。

夜のあいだはほとんどねむれなかったけれど、たいいくかんの中にいるとあんしんしてすごせました。

 

体育館に避難したのは私たちが一番目だったらしく、

他には避難者はなし。

あとから聞いたら、私たちが最初に避難しようと思っていたS中は相当に満員だったそうで、

駐車場に入るのにも渋滞、中でもスペースがなく大変だったとのこと。

Kおじさんの判断には、この意味でも助けられました。

数時間後に、多少どやどやと音がして、避難の人たちが少しずつ増えてきたのを気配で感じるも、

一睡もしていない私は疲れ過ぎて頭をあげることもできず、でも熟睡することもできず、ただただ無になってゴロン。腕時計を見ると、午前3時過ぎ。

地元消防団が避難をうながして回ったらしく、それで避難の人たちが増えたらしい。

合計で10組くらいの人たちが体育館にいました。

子どもたち下3人は、避難リュックの中にそれぞれぬいぐるみを入れてきたらしく、一人一人がそれを小脇に抱えて横になっていました。

大事なものは入れてもいい、と言ったら、ぬいぐるみは入れてきたんですね。ぬいぐるみには、ちょっと助けられました。

 

朝、ひなんじょのかかりの人が、水だけいれればたべられるおこめをくばってくれました。

水だけいれてほんとうにたべられるのかなあ?とふしぎでしたが、

水をいれて30分くらいで、ほんとうにごはんになりました。

「こんなものがあるんだ、すごいな。」

と思いました。

たべてみたら、みためよりもおいしかったです。

 

大五郎を散歩させてくる、とばあちゃんと子どもたち。

中学校の校庭は台風一過。

何事もなかったかのような空。

水色の空に、白い雲が絵のように広がる。

 

朝8時に、家にかえることができました。

やっぱりじぶんの家はさいこうだなと思いました。

じぶんの家が川にながされなくてよかったです。

とてもこわい思いをしたけれど、こういうさいがいのときに何をしたらいいのかがわかったので、

べんきょうになりました。

もう、たい風はこないでほしいです。

***

以上、わが家の避難記録。

おそらく子どもたちは、大人になってもこの時のことを覚えているでしょう。

ほんとうに、こんな思いは大人の私ももうこりごりです。

 

被災された方々が、一日も早く通常の生活ができますように、心から。