新学期に向けて、靴を買ってあげると言って高萩じいちゃんが来訪してくれました。
高萩ばあちゃんが亡くなったのが9月で、
そのあとに1回だけ、12月にこちらに寄ってくれたっきりで、
およそ3カ月ぶりくらいの再会。
1ヵ月に1回くらいは電話で話したりもしますが、
車で片道3時間かかるためなかなか行き来がないのが実情です。
いつも、泊まりで来てお酒飲もうと夫も誘うのですが、
人のうちではよく眠れない、という理由で断られてしまいます。
もともと社交的ではなく、友達付き合いもしない人なので、
息子の家とは言っても、気を使って落ち着かないのかもしれません。
義母が亡くなってからというもの、
当たり前ですが義父は一人っきりの生活になって
『耐えがたい寂しさ』なのだと以前電話でこぼしていました。
市のサークルや講座などいろいろ調べて見聞きはしたものの、
結局、なんとなく全てしっくりこなくて、
30年以上続けている趣味の家庭菜園だけが楽しみというのが今の毎日のようです。
3カ月ぶりに会った義父は、ひとまわりしぼんでしまって、
とっぷりと年を取ってしまったように見えました。
寂しさというのは、人間にはこたえるものなんですね。
義母が生きていた頃は、ほんとうにつやつやしていて、
100歳くらいまでは余裕で生きそうな雰囲気だったのですけれど。
なんだか、その姿を見て切ない気持ちになりました。
義母が亡くなってすぐはなんとなく色々気ぜわしくしていて、
遺品の整理なども忙しそうにやっていたようですから、
それはそれで落ち込む暇はなかったのかもしれないですが、
今は、すでに落ち着いてしまいとくに義母の不在を痛感して、さびしい時期なのかもしれないな・・・とも想像します。
義父は、子どもたち一人一人に靴を買ってくれたあと、
その喜ぶ顔を本当に嬉しそうに眺めていました。
さらに、あとで着るものも買ってあげて、と私に一万円を渡して帰って行きました。
夫は「あんなにケチだった親父が、一万円もくれるなんて信じられねえ!」
とかなりびっくりしていました。
「金の使い道がねえ、とはぼやいていたけどな~。」
とも。
義父は生まれが非常に貧しかったらしく、
6人きょうだいの末っ子で、
着るもの、食べるものにも困るような子ども時代だったようです。
これは想像ですが、あまりにも色々なことがあったのでしょう、義父は酔っぱらっても子ども時代のことを話したことがありません。
ただ一度、正月か何かのときに
「親になにかをしてもらったことがないから、自分の子どもなんてどうやって育てたらいいかわからなかったよ」
というようなことを私に話してくれたことを覚えています。
だからこそ、孫に靴を買ってくれて、その孫が「与えられて喜ぶ」顔を見るのが嬉しいと思ってくれるのかな、
などと思ったりもしました。
人間、やっぱり一人では生きていけないものなのですね。
お金がたくさんあっても、それだけではしあわせには直結しないんですよ。
誰かの役に立つ、誰かが喜んでくれる、そういうやりとりこそが、
生きている実感、心の栄養になるんでしょう。
義父が、今のさびしさの大波を少し乗り越えて、
少しずつ日常の楽しみが増えていってくれたらいいなと思っています。