今日で一年も終わりです。
思えば去年の大晦日は高萩にいました。
お母さんがまだ家にいて、
一緒に紅白歌合戦見たのでした。
そう思うと、一年のあいだに砂がこぼれるようにして
母のいのちは青い空の中に飛んで行ったような心地がします。
長年、わずらっていた病気ともその薬ともさよならして、
命を削るもとになった肺がんともさよならして、
お母さんは今ごろもうあかるい旅路でわらっていることでしょう。
亡くなる日の夜に、うちの父ちゃんは自分の母親の夢を見たそうで、
よく着ていた水玉もようの服をきて
「じゃあね、いってくるね~!」
とうれしそうに手をふって青空を背景にどこかに行ったそうです。
私はおなじ時刻のころ、
夢だか現実だかわからない場所に自分がいて、
もしかしたらそっち側はもう戻れない世界なんじゃないかな、
という心地のする夢を見ていました。
父ちゃんとは正反対で、私は紺色以外に何もない世界でした。
起きて、朝になり電話が鳴ったので「ついに来た」、とすぐに二人とも思ったのでした。
父ちゃんはその夢を見たおかげで今では、
「ばあ(お母さんのことをそう呼んでいた)は、もう大丈夫なんだな、
今ごろは生まれ変わっているよ」
と思えて、湿っぽさは0%だそうです。
振り返れば、今年は娘が小学校にあがったり、
裏の土地を自分で登記手続きして買ったり、
さらには自分自身が保育園で働きだしたり、
大五郎がわが家に来てくれたり・・・・
とけっこう盛りだくさんでした。
この10年を振り返ると、一年おきくらいに子どもが生まれたり、
父ちゃんが転職したり、
引っ越したり、
などなど変化のない年というのは皆無にひとしく、
人間って、変わらぬ日常などないのだな、
というのが実感です。
抜き出してみるとちょっとしたニュースになるようなことも、
連綿と続く毎日と別々の出来事ではなく、
ぜんぶ、ちゃんとパズルのピースのようになっています。
この年になって、それが生きるってことなんだなと、
ようやく感じられるようになりました。
若い頃は、生涯一度ほどの大きな幸せがあるんじゃないかとか、
目の覚めるような青空が、この先にあるんじゃないだろうかとか、
そんなことばかり考えていたように思います。
そりゃ、飛びぬけて素晴らしいこともときどきはあるかもしれないけれど、
願掛けして、空から降ってくるような幸運はめったにない、
あったとしても、それは「まいにち」と同じなかにあって、
「まいにち」とおなじ価値だろうと思えます。
宝くじで100万円当たるのと、
こたつで家族と笑ってみかんを食べるのと、
しあわせの重さは同じ。
年をとったからでしょうかね。
熟してきましたかね(笑)。
食べごろは過ぎた気がしますがね。
みなさまと、楽しい日常をわけあえてしあわせです。
来年も、よい年になりますように!!