娘の担任の先生から、昨夕電話がかかってきました。
今週末に控えた授業参観での個人発表が、娘は上手くできないかもしれない、
というのが主旨でした。
それに付随して、娘の学習態度に大きなムラっ気があり、
やりたくない、気分が乗らない、といった場面は頑として動かない、ということでした。
ただ、図画工作と体育に関しては、誰も真似できない集中力の境地へ達しているらしく、
目を見張るものがあり、そういった部分が他でも見られるといいのですが・・・・
という、苦言というか、報告というか、なんというか・・・・
という内容でした(笑)。
一度に20人近い子どもたちを一手に引き受けている担任の先生にとっては多大なご迷惑をかけていることは一目瞭然なので、
もちろん、ご迷惑おかけして申し訳ありません、と謝って、
授業参観の件は、上手にできなくても親としては特に気にしませんので、と笑って話し、
その他、困った点については家でもよく言って聞かせますので、と言って電話を切りました。
先生だって、ただでさえ大変な仕事の中で、
娘のような頑固者を相手にするのは「マイッタ!」と言いたくなるだろうなあ・・・
と想像し、申し訳ない気持ちにもなりました。
よくよく私もそのあと考えて、
まあ、決して優等生とは言えない娘の普段の様子を改めて振り返ってみると、
先生にとってはやりづらい存在であろうとはつくづく思うのですが、
ただ、逆に考えれば長短紙一重といったところもあり、
自分の意見を言えないでもじもじ君だった長男と比較すると、
誰が何と言おうと自分を貫ける娘の意志の固さはある意味たいしたものだな、とも感じました。
他人の評価など関係ない、外側から見た自分がどうであろうと、自分は自分なのだ、
という気持ちは、小さい頃からハッキリとしていて、
保育園時代は発表会の練習をやりたくない、と言って練習に参加せずずっと見学していたり、
遊びの時間の最初から最後までぜんぶ使って園庭でなわとび飛んで600回以上の記録を出したりと、
良くも悪くも最後まで貫く力はすごいのです。
料理のお手伝いのときも、最後まで必ずやり通してくれるのは娘だけです。
長男を育てている中で気が付いたのですが、
短所を消そうと思って消えたことは一度もなく、
結局、短所というのは長所を伸ばす中でどこかで目くらましのように見えづらくなるものなのだな、ということ。
短所のない人間なんていないですしね。
私にだって、短所はいっぱいあります。
昨晩は、娘とお風呂でいろいろ話したのですが(先生から電話があったことは言いませんでしたが)、
まあ、いろいろ聞き取りするのも必要だなと思ってゆっくり話をしようと思い、娘と向き合ってみました。
聞けば、学校はかなり楽しいと思っているようだし、(親が何も言わなくても自分で前日の晩にきちんと支度も完了するのでエライ)
友達の話もよくしてくれるし(日常的に、よく友達の話はしてくれる。このへんは女子)、
べつに本人は先生とのやりとりは何とも思っていないようで(笑)
叱られることも多々ある、という認識はあるようなのですが。
それから、やりたくないことを強制されているとき「なんでこれをしなきゃいけないのか、納得できない」と強く感じているというということもわかりました。
ま、それでいいんじゃないかな、と私も思い、
学校の勉強の教育内容そのものが魅力的じゃない部分もあるんだろう、
子どもの気持ちになってみたら、面白くないこともたくさんあるだろうな、と想像し、
「先生にあまり迷惑かけると先生が大変だから、そのあたりはよく考えるようにね」
とだけ軽く説教しておしまいにしました。
「あなたには、いいところがいっぱいあるんだよね。
字もきれいだし、
運動もスペシャルだし、
友達にもやさしくできるし、
だからそのままでいいよ。」
と言ったら「うん」、と笑っていました。
学校行きたくないとフェンスにしがみついていた4月から、もうすぐ一年。
宿題も、自学も、やれなんて言われないでもせっせとやっている娘の毎日の姿を見ていると、
「それだけで、一年生としては既にじゅうぶんなんじゃないかな」
と思う母であります。甘いかな。
ありのままの、娘。
表も裏も、全部丸出しだなあ。(笑)。