イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

人生で一番大きな買い物

自宅の裏のご夫婦が遠方のお子さん宅へお引っ越しされることになり、

築37年の建物とともに土地を手放すことになったので、

わが家に「約100坪ありますけど、買いませんか?」と話がまわってきたのが6月あたまのことでした。

ありがたいお話なので、ぜひ買わせていただきます、ということになり、

当初提示された価格のおよそ半値から交渉スタート。

100坪って言ってもね、田舎なもんで坪単価は1ケタ台なんですよ。

駅まで徒歩1時間、バスは日中2時間に1本ですからねえ(笑)

お互いに条件をのんで詰め寄って行き・・・と実際の価格交渉に、

じりじりと3週間もかかりました。

途中、ほんとに「じれったすぎて頭がおかしくなりそう!!」

と、気の短い私は胃が痛くなりましたが(笑)

ちなみに父ちゃんは去年ダンプを買って貯金が0なので、

「おめえの好きにすれば。俺は全然出せねえ」

と早々に戦線離脱の丸投げ。

「私に一任ってことでいいの?そしたら、私、自分の名義で買っちゃうよ?」

と言ったら、

「いいよ。」

ですって!

親の名義でも、夫の名義でもないなら本気出してやるわ!!

とがぜんやる気に。

最終段階まできて先方の売りたい価格と、私の出せる上限価格に50万円の差が出て、

そこを折り合いつけられず、実はいったん破談になりました。

すると奇跡は起こり、破談になった3日後に先方が

「・・・50万円、引きます。」

と言ってくださり、突然に商談成立!!

書き切れないほどの紆余曲折を経て、

購入に至ったのでした。

 

いざ買えるという話になっても、そっから先が重要。

登記を司法書士さんやらに依頼すると、

10~20万円の登記委託費用がかかるということで、

「そんなら登記、自分でやるわ!」と、一発奮起(笑)

資金調達から税金計算、必要書類の作成に奔走したこの一週間。

土地は登記してあるが、建物が未登記で・・・

しかも、土地は旦那さんの名義だけど建物は奥さんの名義で・・・

などなど出るわ出るわ懸案事項。

仕事の合間をぬって法務局と市役所を何度も往復し、

ホント、忙しい一週間でした。

登記なんて何から何まで専門外ですからね~頭からけむりが出そうでしたよ。

幸いに、中学時代の恩師G先生の教え子さんに行政書士さんがいて、

何か難しいことがあったら聞いてみるといいよ、と紹介してくださり、

いざ電話をかけたらなんとその方は、

私が高校時代に野球部で仲良しだった同級生のお父さん!という奇跡・・・。

そんなわけで、契約書のひな型(下書き)などデータで下さったり、

登記書類の最終チェックなどもして下さって、

タダで専門知識もらいまくりました(笑)本当に助かりました。

ようやく昨日、契約を取り交わし、代金もすべて支払い、

小難しい登記申請書類も法務局で無事に受理されました。 

あーーーーー、私よくやったわ!!

同級生のお父さんに感謝!!!

 

実は今回売っていただいたその土地は、

もともとは、私のひいおじいちゃんの畑でした。

私が今現在住んでいる地所も、大元はひいおじいちゃんの畑でした。

私の祖父母が若い時分にマイホームを建てるとき、農地転用したそうです。

今回私が所有することになった土地は、当初は祖母の弟が受け取る予定の土地でした。

つぶした畑の半分は姉(祖母)、もう半分は弟、となっていたんですね。

しかし弟くんは仕事の都合で横浜に居を構えたため

「いなかの土地、いらねえわ~」

となって、今から40年前に別のかたに売りに出されました。

別のかた、とはつまり今回の売主さん。

40年経って、めぐりにめぐって私のもとへまわってきた土地というわけです。

 

余談ですが、祖母の弟”横浜のおじさん”はとっても明るくて豪快で、

親戚中でいちばんひょうきんだったので、私は大好きでした。

仕事は個人タクシーの運転手をしていて、

こちら茨城で法事などあるときは『個人』と黄色いあんどんのついたタクシーではるばる横浜からやってきて、

おみやげに、崎陽軒のシューマイをたくさんくれたのでした。

今でも崎陽軒の赤いパッケージを見ると、おじさんを思い出します。

 

今から25年以上前の話にこんなエピソードがあります。

ひいおじいちゃんが90歳で老衰で亡くなった通夜のとき。

その日はみんな、悲しいというよりはついにその日が来たという感じで、

親戚中がみんな集まって通夜ぶるまいをしていました。

横浜のおじさんは

ウイスキーの水割り作ってくれぃ」

と当時中学生だったうちの姉に頼み、

ウイスキーなんざつくったことない姉はグラスに5:5の割合で、

ウイスキーを半分、水を半分入れておじさんの手へ。

一口飲んでおじさんはウイスキーの濃さにびっくりし

「Eちゃん(姉)はホステスはできねえなあ~

 こんな気前よくウイスキー入れてたら、店つぶれるよ~!」

と楽しそうに叫んだので、通夜で湿っぽかった親戚中が笑いの渦に包まれたのでした。

ウイスキーの水割り、シングルは1cm、ダブルは2cm!」

と未成年の姉と私にウイスキーの作り方を楽しそうに叩き込んだおじさん。

垢抜けていてとって楽しい人でした。

3年ほど前、ついに老いに勝てず他界しましたが、

私の性格のこの、みょうな明るさは、横浜のおじさんと血がつながっているからこそだなと思うことしばしば。

けっして、おじさんが住んでいた土地なわけではありませんが、

おじさんがもらうはずだった土地が私のところへお鉢がまわってくるなんて、

と不思議な縁を感じて嬉しいです。

もともとはひいおじいちゃんの畑だったわけなので、

ひいおじいちゃんにお礼をと思って墓参りに行きました。

墓石には、江戸時代からの先祖の名前がずらりと刻んであり、

ああ、ひいおじいちゃんはもとより、

さらにその上の代から、きっと畑はあったに違いないよな、

ありがたいな、

土地云々より、自分という存在が今日あることがありがたい、

と心から思いました。

 

 

築37年の建物のほうは、年明けにでも父ちゃんとゆっくりリフォームして、

そのうち書道教室でも開くつもりです。

何しろ古いので。墨で室内が汚れても構うまい。

境界にある塀は父ちゃんが近々、ハンマードリルでぶっ壊してくれるそうです。

芝生の庭が自宅の前にも後ろにも、となるわけなので、

子どもたちが走り回る様子が目に浮かびます。

十数年後にいよいよ子どもたちが所帯を持つようになったら、

建物壊して家でも建てろい!と気前よくあげちゃえばいいやと思っています。

 

なんにしても、人生で一番大きな買い物でした。

お金は、あるかどうかが大切じゃない、

どう使うかが大切だってしみじみ感じています。

人生は無限大。