子ども時代、夏祭りと言えばおみこしでした。
夏の2日間、お囃子会の山車と一緒に子どもみこしを担いでまわり、
おかしをどっさりもらって帰宅したものです。
物心ついたときには、私はもうこのお祭りにどっぷりで、
小学生のころには、雨が降ろうが風が吹こうが、ギラギラ炎天下だろうが、
とにかく2日間、お囃子会についてまわり、歩きたおした思い出。
お祭りから帰った夜は体全体にお囃子の音色がしみついて、
寝床に入っても耳の奥でお囃子が鳴り続けたものでした。
今年も、そんな夏祭りシーズンがやってきて、
先週の土日に山車とみこしの巡行がありました。
故郷に戻り2回目の夏祭り。
去年は私の実家に家族で暮らしていたので、
祭りの手伝いなどは私の両親が出てくれましたが、
今年は祖母宅に住み、町内会にも入ったので、
そんな意味では、故郷に戻って初めての本格的な夏祭り参加。
子ども時代から、大好きすぎるほど好きなお囃子の音が、
土曜の夜、すぐそばの集落センターから聞こえてきていました。
お囃子会の練習の音です。
窓から流れ込んでくる横笛や太鼓の音色に、
長男が耳をそばだててうっとりと
「この音聞いていると、しあわせー」と。
ほとんど、初めて聞く音色だというのに、
しあわせ~と言うのですから、
こりゃもう血が騒ぐのを受け継いでいるとしか言えませんね。
夕闇にまじって、子どもたちを連れて外まで聞きに行きました。
こんもりと暗い神社の濃い夕闇全体から、
笛と太鼓の音色が夜風とあわさって流れてきて、
目の前の田んぼの青い稲をさわさわと揺らしていきます。
「・・・・この、お囃子の音が聞こえると、毎年、もう夏なんだよね」
と、つぶやくように私が言ったら、
長男が黙ってうなづいてくれました。
わが家のある町内会は、高齢化はなはだしく平均年齢はおそらく65歳。
40代が若手と言われるくらいで、
29歳のうちの父ちゃんは、80歳のおじいちゃんから言わせれば孫(笑)
そんな、おじいちゃんたちにまじって、
当日は朝からいろいろ準備に明け暮れた父ちゃん。
父ちゃんは地域の人の名前も顔も、ほとんどわからないし、
逆に、相手にとってもうちの父ちゃんが誰かわからない(笑)
そんなわけで父ちゃんはうちのおばあちゃんの名字で呼ばれ続けたらしいです。
私も、子どもを連れて近所を歩いていると、どこの人だい?と声をかけられたときに
「**(祖母の名字)の孫ですー!」と答えていたので、
うちの名字は誰も知らないかも(笑)
でも、今回の祭りの手伝いがきっかけで、
父ちゃんはたくさんの人と話ができて良かったようです。
そして長男。
当日の、お祭りの山車、みこし、そしてお囃子の音色。
もう、血が騒いじゃって・・・・(笑)
ものすごくよく聞き入っていました。
大人になったら、お囃子会に入れてもらうのかな~
でも、うわばみの集まりなんだよね~(笑)
浴びるように酒を飲みながら、
楽しく練り歩くのがここの豊作祈願!
私は、体にしみついたあのお囃子の音色が、
どんどん思い出の引き出しから芽を出して、
どんどん、どんどん蔓がのびて、
耳の奥で鳴り続けました。
うちの祖父は、このお祭りが大好きだったのですが、
闘病最後の一年は病院のベッドにいて
お祭りの音色を聴けませんでした。
「今日は祭りだって?来年は行きたいなあ~」
と当時中学生だった私にそう言い、
その年の9月には亡くなってしまいました。
私は夏祭りのたんびにそのやりとりを思い出し、
思い出すと涙がじわり。
私にとっても、うちの子どもたちにとっても、ここがホーム。
故郷って、匂いや景色や、思い出がつみかさなって刷り込まれて
自分だけの手触りの中でできていくもんなんだろうな、
と思っています。
夏祭りの音色と、青い田んぼの稲と。
子どもたちの心と体の中に、刷り込まれていくであろう故郷が、
私自身のそれと同じだというところが、
とっても、シアワセです。