イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

オプションでは物足りない

不思議なもので、

時給としての手間(バイト代)をちょうだいとごねてようやくもらえるようになり、

そうするとがぜんやる気も違うわけであります。

今のところ、時給に文句はありません。

でも、なぜか、腕があがってくるのを実感するたびに、

違う思いが頭をもたげてくる。

それは

「オプションとしての価値でいいのか」

という問い。

イメージ通りに植物を刈れるようになり、

道具も使いこなせるようになり、

少しずつ仕事が上達してきて、

なぜか

「わたしは上を目指す・・・のか?」

と自分に自分で思ってしまう。

さらに上を目指したいのか、

はたまた、べつに植木屋を目指してきたわけじゃないんだから、

このまま、お梃子としての価値でいいのか。

さらに言えば、他に私、やりたい仕事があったのでは・・・・?

という、20代のときのような根源的な問い。

 

しかしながら、「ここ、ぜんぶ仕上げといて」

と父ちゃんに一区画まかされて、

文句言われず仕上げられた達成感。

ひとつひとつの現場での出来、不出来の中で、

否応なく、腕は少しずつですが磨かれます。

雇われの身であれば当然、独立が目標になるわけですが、

こちとら最初から家業。

いや、でも待て。

私はこのままずっとオプションで居続けるのか・・・?

という新たな気持が湧いてくるのをこのごろ止められません。

 

いやしかし、プロになる、プロを目指すと思ってしまったら、

同じ土俵で父ちゃんと張り合うことになりそうで、

 

なんかそれも気乗りしない。

 

そう、なぜか沸き起こる「向上心」が邪魔。

どうしてなんでしょうねえ、

配置された場所でいっしょうけんめいになりたがるこの性分。

頼まれてもいないのに、

効率と上達を自分の中で求めてしまうという・・・。

 

家業としての仕事の幅も広がるだろうし、

一級造園施工管理という資格を私が取ろうかと思って調べたところ、

学歴がさっぱり足りないということがわかり、

そうかそれなら通信制の大学に入学してもいいかな、と思ったのでそれとなく父ちゃんに話したところ、

「ドブに金をすてるようなものだ」

と一蹴。

そんな時間とカネがあるのかうらやましいね、と嫌味も盛られる始末。。。

 

なんだろう、この生殺し感。

わたし、植木屋になりたいんだろうか。

べつにならなくてもいいんだけど・・・。

どっぷりと手伝えば手伝うほど、

好きか嫌いかわからなくなる”家業”というもの。

わたしって結局、真面目なのね。