イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

弱点

長男、

「おかーさん。おれ、2ケタ×2ケタの計算が、どうもできないんだよ」。

おー・・・・きたか。ついにそのセリフ。

私の文系遺伝子が多いに活躍している気がする。

 

私は余りのある割り算でつまづいた時から放課後居残り組となり、

『算数はできない』

と眼中から外し、見ないことにしてきました。

よって、百分率などというものは殆ど理解できないまま小学校を終えております。

中学校に入学してから、

当時好きだった男の子が大変に数学が得意で、

因数分解などというものを教えてもらったり、

座標軸の求め方、

さらには証明などというマニアックなものまで目の前でさらさらっと解くので、

心から尊敬していました。

中学校の数学で唯一、私が楽しみを見出したのは角度計算で、

これだけは本当に、嘘みたいに得意でした。

他の数学のテストは散々だったけれど、

この「サイン・コサイン・タンジェント」関連だけは75点を取って、

忘れもしない思い出です。

 

さて、長男の算数。

25×46、などと出題されると、

もうそこでげんなりする様子。

「筆算だよ筆算」、と言ってみると

「わかってるんだよねー。ゆっくりやれば、できるんだよ。」

「なーんだ。やり方は理解してるんだね。じゃあ、ゆっくりやればいいんじゃないの?」

「・・・おかーさんね、わかってないんだよ。」

「は?」

「おれがね、1問解くあいだに、まわりは3問も4問も解いちゃって、余裕があるんだよ。おれは焦るわけ。」

 

なるほど。私には長男の気持ちが痛いほどわかりました。

自分が、置いてゆかれる孤独感。焦り。

先生も、案外に素通り。授業のスピード感。わからなくても、置き去り。

わっかるな~。

割り算のときに感じたあの焦燥感と、

その後、算数がコンプレックスになっていった気分が鮮烈によみがえってきました。

それといっしょに私の気持ちに芽を出した親心。

”あ~、そうなって欲しくないなあ~。コンプレックスにだけは。。。”

 

おそらく、長男はきっとそれまでは周りに遅れを取らないように各教科やってきて、

遅れたことがなかったのでしょう。

勉強でははじめての挫折感なのかもしれません。

 

できないと思う気持ちが、できなくさせることってありますよね。

「私は縄跳びが跳べないから」

「私は足が遅いから」

「私は泳ぎが下手だから」

「私は人前で話すのは苦手だから」

思い込みが出発点になると、そこからはスタートを切ることがとても難しくなります。

できれば、「おれは算数はできない」という思い込みだけはまだ持って欲しくない・・・・

過去の自分の姿と重なります。

 

「毎日、1問とか3問とか、一緒に解いてみる?筆算は慣れだと思うよ?」

と提案してみました。しかしながら

「家に帰ってきたら、勉強したくない。学校では、ずっと我慢して座ってるんだからさ。帰ってきたら、外で遊びたいよ。」

とバッサリ。

そりゃそうだ。当然だね。遊ばなかったら、子どもはおかしくなっちゃうよ。

さらには、下の兄弟たちがうるさくて、集中なんてできないよね。(私も夕方から夜はなにかと忙しくて付き合えないしなあ・・・)

「あなたは、どうしたいって思ってる?」

とたずねてみました。長男が、やりたいようにやらせてみるのがいいかな、と。

「・・・学校で、もっとゆっくりやってくれたらいいなって思ってる。他にも、苦手だと思ってる子がいるから。丁寧にゆっくり教えてくれたら、できるから。」

「そうだね~。ほんとだね~。」

なるほど、”できないから、もうやりたくない”ってわけじゃないんだ。

「算数の問題を、見たくもないっていうふうには、思わないんだね?」

「それは思わない。」

ちょっと迷ったあと、長男に

「先生に、あなたが算数が今ちょっとしんどいって思ってるって、書いてもいい?」

と聞いたら、

「うん、いいよ。先生、おれがかけ算で困ってるって、気が付いていないよ。」

と。

「わかるまで、ゆっくりやりたいんだよ。」

「うん。そうだよね。」

つまり長男の気持ちは、

”今、ゆっくりやっているんだよ。ゆっくりやってるから、授業よ先に行かないで!!”

との小さな叫びなんだと感じました。

 

連絡帳に担任の先生あておたよりを書きました。

2ケタの掛け算でつまづいている様子であること、

家で自主学習も提案したけれど、家では勉強への本人の執着も切れているため難しい・・・・

そんな旨おたよりしてみました。

 

担任の先生は数学が専門教科だと言っていたので、何かマジックが出てこないかなあ。。。

そんな、他力本願じゃだめかしらん?

 

でも、学校では一生懸命勉強してきているのがよくわかるし、

それが、家に帰ってきてまで母ちゃんが問題用紙持って追いかけてくるのはゴメンだという長男の気持ちもよ~~~くわかる。

しかしながらただでさえ忙しい先生に、さらに仕事を増やすようで気が引け、

連絡帳に書くのはためらいもあったのですが。

もし、この声が先生に届いてくれたら、いいなあ~~・・・・。

 

ランドセルの中に、教科書やらノートやらを詰め込んでいる長男に、

声をかけました。

「誰にでも、苦手なものってあるんだよ。

 なんか、自分ではどうすることもできなくて、よく出来ないもの。

 すっげーカッコイイ人が、実は高いところは全くダメ、とか。

 可愛くて、性格もよくて、ほら、そうお母さんみたいな人でもね、

 算数だけはできない、どうやっても無理、とかさあ。

 超!足も速い、運動なんでもできる、勉強もできる、顔もかっこよくてモテモテ~

 でも、カラオケ行ったら最悪~~~おんちすぎ~~~とか。

 それは~、”愛嬌”って言うんですワ。

 ”ホントしょーがないわぁ”ってのが”かわいかった”りするわけよ。

 完全無欠だったらかわいくないでしょ?

 ダメなとこがあるから、人間良いのよ。

 それが、味ってもので。

 だからもし、あなたが計算が苦手だったとしても、

 それはそれで、持ち味なわけ。

 サカナのことは博士みたいだけど、計算おっそおおおおい~~でもいいじゃん。

 しょーもないところがあると、かわいいものなのよ。」

 

こんな励まし方でいいのかな~・・・・

すると長男は

「ああ、そっか、そういうことネ!」

とあっさり納得。

 

弱点や欠点のない人間なんていませんよね。

美人でスタイルもよくて、有名大学卒で、カラオケ行ったらプロ並み!

そうなるとたいだい、性格が悪いってのがオチじゃありません?

え?ブスのひがみだって?(笑)それとも漫画の読みすぎ?(笑)