イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

見るというより、感知。

最近、人と会って話している時、

私は相手の容姿をほとんど見ていない、

ということがわかりました。

 

先日、姉と私と実家の母と、それプラス子どもたちで出かけた時、

姉がどんな服だったのかと言われても、

まったく思い出せず、

さらに、母が後日

「**子(姉)は肌がくすんでいたけど、具合でも悪いんだろうか」

と私に言ったので、

?と思い、

「よくわからないな」

と返事をしたら、

「助手席と運転席であれだけそばでずっと話していたのに?!」

とすごく驚かれました。

 

また、別の日。

生協の配達のお兄ちゃんがやってきて、

母もその場に居合わせて、

生協のお兄ちゃんが帰ったあと

「あの人、髪型変えたよね」

と母が言ったので

?と思い、

「よくわかんないなあ」

とこれまた前回と同じような返事をしたら、

「顔見て話していたのに、気が付かなかったの?!」

と驚かれました。

他人に興味がないのじゃないか?と軽く訝しがられました(苦笑)

 

2例とも母とのやりとりではありますが、

ほかでも、

たびたび、人と会うごとにこういうことが起こります。

 

 

昨日、授業参観に行って、なにか要領を得た思いがしました。

私は、子どもたちの容姿はほぼ記憶にないけど、

授業参観から家に戻ってきて、

子どもたちの表情や様子はひとりひとりよく思いだせます。

また、先生の顔は詳しく思い出せないけど、

一人ひとりの先生の出していた雰囲気や様子は思いだせます。

 

それをゆっくり考えていたら、

私は先日の姉の容姿はわからないけど、

その時の会話の”様子”は思いだせるし(もちろん内容も)、

生協の配達の兄ちゃんが出していた雰囲気は思いだせる、

と思いました。

・・・・・・つまり、

容姿は見てないけど様子はちゃんと見てる、

いや、見てるというよりは、

もっと感覚的なところで感知はしてる、と。

 

いい服を着ているな、

とか、

髪型おしゃれだな、

とか、

そういうことには私のセンサーはだいぶ鈍く、

声のトーンとか、

出しているオーラとか、

元気そうだな、元気なさそうだな、

などということを、

私は”感知”しながら人と接しているんだな~と思いました。

 

そうなると、

自分の子どもたちに対してどうなんだろう?

と気になって考えてみました。

 

台所で料理しているときなど、

お互いに背中越しですが、

声のトーンや、言葉づかい

醸しだしている雰囲気。

見ていなくても、私は感知しているなあ、と。

なるほどそうか、

これは子どもが多いがゆえの、

私の特性なのかもしれないです。

瞬時に状況を判断するための、

第六感のようなもの。

 

見るというよりは、感知する能力。

この能力を磨いたら、美輪明宏になれそうです?!

ぜひなりたいわ~。