ときどき、びっくりするような人にであうことがあります。
いっぷう変わった突然の電話や、
ひねくれた営業のひと、
周囲のやさしい人の善意を、ちょっと利己的に利用して状況をかきまわしてしまうひと・・・・
ちょっと前の私だったら、
やっぱり、さいごのさいごまで、
金太郎アメみたいに、
「私は、相手にとって善いひとのイメージのままおわりたい」
と強く思ったものです。
だから、思ってもない言葉で謝ったり、
取り繕ったり。
でも、36歳になって、
おばちゃん魂もずいぶん熟されて、
けっこういろんなことがどうでもよ~くなってきた。
不思議ですが、
「ややこしい」ことも、
自分が”呼んでいる”っていうじゃありませんか?
なんだろうねえ。
昔は、試練だな、なんて思ったりもしたけど。
今は・・・・
ダッシュで逃げる、という感じかしら。
逃げるなんて恥ずかしい、
という気持ちがなくなった。
そもそも、恥ずかしい、という気持ちが極端にちいさくなった。
だから、なりふりかまわず逃げる。
かっこわるくてもいい、
いいひとだなんて思われなくてもいい、
私は自分が可愛いので、自分が大切なので、
逃げちゃう!
立ち向かう、というのはたぶん、
自分の底が見えてない状態だと、
試してみたくなるんだと思います。
自分の能力をね。
どこまでなのかなーって。
でもねえ、よおくわかった。
「だいたいこのへんまでが把握してる能力の底のとこで~」とね。
潜在能力はすんごいあって、
やればできるんだろうけど、
「あ、その引き出しはもしもの時だけなんで、今は開けません。
相当重たいんでね、今日はやめときまーす」
って。
長い助走があるから高く飛べるわけじゃないんですね。
いちばんすきなフォームで、一瞬だけ、軽くジャンプするだけでもいい。
私がそれでいい、と自分に思うのなら、
それでいいんです。
無駄なエネルギーを、ダダ漏れさせないことです。
漏れそうなエネルギーは、”とんち”に変える動力にしなくちゃね。