イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

ケンカ考

わが家ではまいどおなじみ、火の鳥文庫。

今度は明智光秀を読むというので、

すでに読み終わっていた私は長男と、

寝床で信長や秀吉の話をしていました。

なぜ光秀は、信長を討つことにしたのかは

今でも謎が多い、ということ、

かつて京都時代に私と長男がよく遊びに行っていた森のようちえんがある亀岡市から、

光秀は山を越えて本能寺まで出陣して行ったこと、

うちにある爪切りは菊一文字(登録商標菊一文字のホームページ

という京都の鍛冶屋のもので、

本能寺のすぐそばにお店があって、バスに乗って買いに行ったこと・・・

などなど、話は無数に展開。

すでに信長も秀吉も、さらには黒田官兵衛も読んでいる長男は、

ぐいぐい話についてきます。

さらには、若干3歳だった長男は、

バスに乗って三条商店会に爪切りを買いにいったときのことを、

ちゃーんと覚えていたのです!これにはびっくり。

 

「しかしさ、当時の足軽や農民の命ってのは、

 ほんとに軽く扱われていて、読んでいて悲しくなるよね」

と私が言ったら

「そうだねー、殿様に死ねって言われたら、

 死ななきゃいけなかったサムライも、だよね」

と長男。

そんな話をしていたら、なんだかふと

毎年夏休みにある、人権メッセージなる宿題のことを思い出しました。

「あのさ、人権メッセージって宿題あるじゃん。

 学校でも人権集会とかってやってるじゃん?

 お母さん、人権って何って聞かれてうまく説明できなかったけど、

 その足軽のことだよ。

 つまり話はこう。

 人が人として、ちゃんと生まれて死ぬ、

 虫やモノみたいに扱われたり、

 誰かに死ねって言われたり、

 従いたくない命令に無理に従わされたりしない。

 ひとりひとりが軽く扱われないってことだよ。」

「ははあ~なるほどね」

長男が納得してくれました。

人権って辞書で引いても、

「人が人として生きる権利」といった具合だったので、

まだ長男にはピンとこなかったのです。

 

「おれさー、おれはこう思うんだよ。

 あのね、学校の人権集会に出るといつも、

 友達と仲良くしましょう、ケンカはやめましょう、

 って話を繰り返し言われるんだよ。

 でもさ、いつもおれはそれ聞きながら思ってんの、

 死ぬまで一生、ケンカしない人なんていないじゃん、

 先生、自分はケンカしたことないのかよって、思うんだよ」

 

!!!

長男よ、そんなこと考えながら先生の話聞いていたのか・・・・

”死ぬまで一生、ケンカしない人なんていない”

まさにその通り。

 

長男のクラスは男子が本当に多いので、

たびたびケンカが起こるため、

先生も事あるごとに

「仲良くしなさい、ケンカはやめなさい」

と言うそうです。

先生の気持ちもわかる。

うるさいきょうだいげんかを見ていると、

「ケンカすんな!!」

と私もつい大きな声を出すので。

 

でも、長男の考えていることがわかって、

すごくぐっときました。

ほんとにそのとおり。

ケンカしないで、一生終えられる人なんていないじゃないの。

「ほんとにそのとおりだねー。

 そんなこと思いながらいたんだねー。

 きみは賢いね。

 先生だって、この人とは仲が良いけど、

 この人とは考え方がいまいち合わないってのは絶対あるんだよ。

 人間だからね。それが普通だよね。

 子どものときに大事なのはさ、きっと、

 思いっきりケンカやって、後味の悪い思いもして、

 どうしてそうなったのか、

 ケンカしちゃったけど、謝れるかどうか、

 なんだよねきっと。」

 

「おれが思うに、

 いじめはぜったいだめだけど、

 ケンカはちゃんとやって、ちゃんとあやまったほうが、

 さっぱりするじゃん。」

まさに。

モヤモヤした思いをずっと持っているってのも、

案外、仲良くはできないものだよね。

 

「まあさ、戦(いくさ)するより、交渉で避けた黒田官兵衛は、

 もっとすごいと思うけどね」

とは長男。

これにもびっくり。

「そうだね、賢い頭はそうやって使うものだよね。

 戦になったら、命も、資金も、食糧も、ぜんぶムダになっちゃうもんね

 しないほうが得なんだよね」

 

ああ、こうやって深い話ができるのも、

共通の歴史本あってのこと。

さらには長男の器に、驚かされたのでした。