イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

よるべない

昨日は2~3歳児の部屋での保育園勤務。

つまりチビ太と同じ学年の子たちです。

 

毎日登園ではなく、一時保育で週に数回しか来ない子がいて、

時々お母さんを思い出してめそめそ。

でも、いっしょうけんめい自分でこらえているんですよ。

ここでママって呼んでもママはいないことは百も承知で、

だから我慢する。

昼寝の時間になり布団に横になったら彼は眠気がMAXで、

もう断然頭の中はお母さんしか考えられなくなったらしく、

涙をぽろぽろこぼして小さな声で「ママ・・・ママ・・・・」。

その様子があまりにもいじらしくて、

うちの子どもたちも、保育園最初の頃はきっとこうしていたんだろうな~・・・

と想像して、37歳のおばちゃんにはぐっときてしまいました。

 「大丈夫だよ~、お昼寝して、おやつ食べたら、ママはお迎えに来てくれるからね~」

と何度もやさしく声をかけるとそのたびに小さくウンとうなづく様子に

彼の心細さが痛いほど伝わってきて、胸がきゅーっとなりました。

子ども時代の独特の心細さ。大人になって忘れてしまっていました。

背中をなでてあげていたら、ほっぺに涙の筋をつけたまま彼はストンと眠ってしまいました。

 

子どもは、外に出ればよるべない気持ちとたたかっているんだろうなーと思いました。

たとえば慣れない保育園、

たとえば初めての小学校、

初めての場所、初めて会う人、

見たことないものとの遭遇・・・

そばに誰がいても、心の中のドキドキする感じは本人だけのもの。

向き合い手をのばす、一歩を出すその瞬間は、心細さとたたかわねばなりますまい。

当たり前だけど子どもにとって外界は未知のものにあふれていて、

大人にとってはたいしたことのないことでも、

子どもにとっては大冒険だったりするわけですよね。

 

家に帰ってきて、子どもたちに訊いてみました。

「保育園に入ったばかりの頃、みんな”いきたくない~~~”って泣いたでしょ?

 あれって、じっさいにはどんな気持ちだったの?」

すると長男がハッキリと答えてくれました。

前にも書いたことがありますが、彼は5歳から通いだしたので、記憶が新しいのです。

「おれはね、覚えてるよ。京都にいるときさ、いつも、どんぐり拾ったり、新しい道を探検したり、そういうのをお母さんと一緒にやってたでしょ?

永遠にそれが続くと思ってたんだよ。

茨城に引っ越してきたし、新しい道をまだまだ探検できると思ってたんだ。

そう思ってたけど保育園に行くことになって、友達もいないし、全員が知らない人で、どうしていいかわからなかったんだよ。だから毎朝泣いてた。」

長男は最初は年中組のクラスでの一時保育で、週に2~3回ほどの登園でした。

9月末には運動会もあるし、良かったら運動会も参加しませんか?

参加するならやっぱり練習も参加したほうがいいですよねという話になり、

9月から毎日行くようになったのです。

(同じ9月にちゅーたんの出産も控えていたので。)

毎日行くようになってからは吹っ切れた様子もうかがえ、

その頃には友達もできて、楽しんで行けるようになっていました。

そうか・・・そんなこと思いながら登園していたんだなあ~と、

今さらの言葉になんだか新鮮な気持ちで聞き入りました。

 

個人差・年齢差はあれど、そうやって子どもなりに最初は必死の思いで飛びこんできていることを思うと、

保育園の先生ってのは常に、子どもの気持ちを全面で受け止める気持ちがなきゃだめだな、

とつくづく思わされました。

親と離れた場所では、たよれるのは先生だけなんですものね。

そういう経験を繰り返して、新しいことに順応する力をつけて大きくなっていくんですよね。

接した子たちが、当然だけどみんな未来へつながっていると思うと、

本当に、ありがたい仕事だな、と感じます。

そういう意味では、子育ても同じか~。自分の子どもは、灯台もと暗し(笑)。

よその子どもの姿を見て、わが子育てを振り返る日々。

ついわが子の場合、「自立せよ」という思いが強すぎて突き放してしまうことも多いのですが、

子ども独特の「よるべなさ」に寄りそう気持ちを忘れないようにしよう、

と思ったのでした。