休み中、野球漫画「ダイヤのA(エース)」も夢中で読みながら平行して、
ミヒャエル・エンデの児童文学「モモ」も読んでいました。
以前、古本屋へ漫画本買いに行ったら子どもコーナーに並んでいたのです。
「モモ」が名作であることは百も承知でしたが、
実は読んだことがありませんでした。
お値段500円だし、家にあってもいいなと思い、購入。
しばらく本棚の飾りになっていたのですが、
公園に行くのにふと持って行ったら夢中になり、
公園で子どもたちを野放しにしているあいだ、
私は木陰で「モモ」。
3日かかって昨日、読み終わりました。
時間泥棒である”灰色の男”たちから、
時間を取り戻すために立ち向かう主人公”モモ”の話。
モモはいわゆる浮浪児で、親もなければ家もなく、
古い円形劇場跡のあなぐらのような場所に住んでいます。
忍び寄る影のように”灰色の男”たちは人々の間に現れ、
「時間を貯蓄しないか」と話を持ちかけます。
「あなたは時間を無駄にしている。時間を節約し、われわれの銀行に預けてほしい。時間を節約すればより素晴らしい人生が送れる」と。
人々が、どんどん豊かな時間を”灰色の男”たちに奪われていく様子は、
まさに現代のそれと同じで、ちょっとゾクゾクっとします。
これが何十年も前に書かれた話であるとは思い難いほどです。
「いかに効率よく、いかに早く、いかに時間を節約して金を稼ぐか」
ということに頭をすべて使うようになったとき、
心は置き去りにされ、人間としての本当の時間は失われていく・・・・。
そして灰色の男たちはついに人間の時間をすべて奪い尽くそうとして・・・・。
私はこうして37歳もの大人になってからこの話を読んだわけですが、
もしこれを子ども時代に読んでいたとして、
内容はすっかり忘れてしまっただろうな、と思いました。
実際には、大人の今だからこそ味わえる部分もあり、
自分を振り返り、考えさせられました。
灰色の男たちに立ち向かうモモの姿は勇敢で、また、とても純粋で、
胸を打たれます。
たとえ自分がこの立場であったとして、
同じことができるだろうか?と思った時、
同調圧力=空気を読む、ということに自分が負けてしまわないか?
と感じました。
灰色の男たちとのやりとりはハラハラさせられ、
大人でもじゅうぶん楽しめます。
さらに、時間を大切にする、とはどういうことか。
”自分に与えられた時間”という、どこかで忘れそうになる大切な概念を、
丁寧に描き出してくれるエンデの筆の力に感動します。
思い返してみて私は読書はさんざんしてきたように錯覚していたけれど、
中学生くらいからは「江國香織」「よしもとばなな」あたりにシフトしてしまい、
その後は「司馬遼太郎」といった具合で、
だいぶ偏った読書履歴・・・・
児童文学はたいして読まないで大人になってしまったのでした。
今さらだけど児童文学も侮れないですね。
名作といわれるものには理由があると痛感しました。