夫と長男が、地域のお囃子会に入りました。
お祭りの時に、笛やら太鼓を鳴らす、あのお囃子です。
土曜の夜に練習なのですが、うちから目と鼻の先の屋外で鳴らしているため、
音は窓から流れてきます。
どうやら父ちゃんは「ちゃっぽこ」と呼ばれるつづみ、
長男には大太鼓のお鉢がまわってきたようで、
花形のお役目に長男は大喜びです。
たとえるなら、大太鼓は大将格で、ちゃっぽこは大勢いるので足軽です(笑)
ちなみに、子どもはほとんどいず、
小学生がもう一人いるだけ。
私が子ども時代はお囃子も人がいっぱいいて、
とても子どもが割り込める隙はありませんでした。
いわば大人の大酒のみ集団でした(笑)。
でも、その当時の大酒のみ大人たちも70歳を過ぎて、
2日間の祭りを歩き切れなくなり、引退者続出。
かねてから植木の剪定でおうかがいしていたお宅の旦那さんがお囃子会の重鎮で、
「植木屋さん、このままじゃ伝統が廃れるよ~お囃子入れよ~。一緒にやろうよ~」
とたびたび誘ってくれ、父ちゃんと長男が入ることに。
”伝統が廃れる”というのには理由があり、
お囃子には楽譜というものが存在しないらしく、
みんな耳で覚えるのみ。
父ちゃんはここの土地の生まれでないので、お囃子にも耳馴染みがなく、
相当に苦戦しています。
ビデオカメラに撮影し、ヒマがあれば再生して練習中。
やはり物覚えのよい小学生はあっという間に覚えてしまい、
楽しそうに叩いてます。
昨日も、夕飯後に熱心に長男がビデオの再生に合わせて練習。
その顔は真剣です。
父ちゃんは
「どうやったら覚えられますかね?どうやって覚えました?」
といろんな人に聞いたらしいのですが、みんな
「う~ん、体がおぼえるっていうか・・・なんとなく、覚えるしかない。」
と言うそうで。
たしかに。私も、大人になってからの途中は抜けているとはいえ、
子ども時代は生まれた時分から数えきれないほど聞いているわけで、
楽譜はなくともメロディーと大太鼓くらいはなんとなくわかる。
そんなわけで、かつてここの子どもだった人はあっという間にできるようになるんでしょう。
そういう意味では、父ちゃんは時間がかかっても仕方あるまい。
「上達してくると、もっとやりたいって思うんだよな。
昨日おれ、一人で昼飯食いながら、練習しちまった。」
と父ちゃん。
「習い事って、そういうもんだよね。
できるようになって、はじめて楽しさがわいてくるんじゃない?
だって、できないことができるようになるって、最高じゃん。」
と私が返事をしたら
「おれは小さい頃に習い事を一切させてもらえなかったから(いや、本人も興味がなかったんだろうけど)そういうのを経験したことがないや。
しいていえば今のおれの仕事も、もっとうまくなりたいって思うわけだけど、
でも、修行してた頃は毎日怒鳴られてばっかだったから、
楽しいってのとはほど遠かったな。
早く一人前になりてえってそれだけだったな。」
なるほどな~。
父ちゃんの話を聞きながら、小さい頃に習い事を経験するってのは、
つまりそれで大成するかどうかはまったく別問題で、
上達のよろこび、目標に向かってすすむ心意気、みたいなものを
体感する場なのかもしれません。
7月半ばが本番のお祭りなのですが、
それまでに父ちゃん、間に合うか(笑)
ちなみに長男は8割がた仕上がってきましたから、
本番はばっちりだと思いますよ。
半被の下に履く白い半股引を欲しいというので、
縫ってあげるつもりです。
スポーツでは一切ふるわない長男の、デビュー戦だぁな。