イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

米は大事だ

一昨日、中学校時代の恩師G先生のお宅に、

長男を連れてお邪魔しました。

G先生宅でテーブルを買い買え、古いほうが不要になったというので

長男の学習机にしたいと思い、もらいに伺いました。

 

久しぶりだからと言って、昼に手づくりご飯をごちそうしてくださり、

長男と二人で、有難くいただきました!

茶碗についた米まできれいに食べつくした長男を見て、

先生、ほめまくり(笑)

 

先生。

「わたしねえ、お茶碗にお米がついていても平気なんて人を見ると、

 気になっちゃって気になっちゃって。

 私は6人きょうだいだけど妹がね、いっしょに旅行に行くと今でも米を茶碗につけたままなのよ。

 ”あなたそれ、きれいに食べちゃいなさいよ”、ってつい注意しちゃうのよねー」

聞けば、先生は子ども時代の終戦直後にひどく貧しい思いをしたとのこと。

「戦争中より、戦争終わったあとのほうが、食糧の面ではひどかったのよ。

 外地から引き揚げてきたひとたちと、奪い合いだったのね。」

なるほど、そうだったのかあ~。

「それでね、米のお釜を洗うでしょ?ほとんど麦だけどさ、

 下にザルを受けてね、一粒足りとも流さないの。

 ザルで受けたお米は、庭先で広げて干して、

 ”干し飯(ほしいい)”として食べたのよ。

 だから今でも、お釜についたお米ひとつひとつとって、

 しゃもじのお米まで、ぜんぶきれいに食べないと気が済まないのよねー(笑)」

すごいなー。生きる歴史という感じがする。

実際にその時代を過ごした人の話ってすごい。

長男も、G先生の話をよく聞いていました。

たぶん長男は、米をこれから先もぜったい茶碗に残さないだろうと思いました。

 

それから先生は、庭のすぐ向こうが線路だったので、

当時はSLが普通に通っていたこと、

その煙の中に含まれる火の粉が、近所の家のワラ屋根について火事になったという話が

当時ひんぱんにあったこと、

近所の川に、手づくりの仕掛けをきょうだいで沈めに行ってはウナギを獲り、

父親がさばいてくれ、母親が蒲焼にしてくれウナギをしょっちゅう食べたことなど話してくれました。

SLと淡水魚をこよなく愛する長男は、

目を輝かせて先生の昔話を聞いていました。

 

***

昨晩、夕飯を食べていて、

「そういや父ちゃん、G先生がね、この子が茶碗に米つぶを残さないで食べるのをすごいほめてくれていたよ。父ちゃんも、子どもたちが米粒残すと、うるさいもんね」

と話しました。

すると意外な答えがかえってきました。

「農大の時によお、学校の食堂でおめえと飯食ってるとき、

 ”なんで米粒残すのよ。きれいに食べなよ!”って何回も言われたんだよなー。」

え?!!私が!!?

覚えてないわ・・・・・。

「うるせえ女だなって思ってたんだけど、それ言われたら子ども時代に親にさんざんそれを言われたこと思いだして。それもそうかあ~って思ってから、米粒食ってる。」

ははは!

 

「よくそんなこと言う女と、結婚したねえ(笑)」

と私が言ったら、

「しらねえよ(笑)」

と言ってましたが。

 

米にまつわる話。

新米の季節です。