イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

迷うけど、迷っていい。

じつは昨日、チビ太を春から保育園に入園すべく、

申請書類を役所に提出してきました。

正直言って、迷いました。

だって、末っ子ですもの。

 

でもね、気が付いていたんです。

12月に、かの『道場』に行ったあの日から、

私はチビ太について思うところがありました。

「この子は、上3人とやっぱり違うのではないか」

ということ。

 

ならされた環境がものを言うのか、

家族内ですでにそこそこの「社会」を経験しているからなのか、

そもそもの持って生まれた気質なのか・・・(たぶんこれが一番大きいネ)

なんとなく、上のきょうだいたちと違う匂いがすることを、

母ちゃんは感じていました。

 

それに、やはり運動神経がものすごく良いなと思う場面が多く、

ちゅーたんがいまだに高所恐怖症なのに対し、

チビ太はアスレチックはほぼ全制覇という達者ぶり。

しかも、コケそうなところでしっかり体を支え、

危なっかしさがないのが不思議。

その能力をフル活用しわんぱくエネルギーもしっかり消費するには、

家庭だけでは収まらないんじゃないか、

しかも夏が来たらもっと体でかくなるだろうよ・・・

母ちゃんはそう感じていました。

 

長男とのことを振り返ると、

いっしょにいた時間こそが、長男を作った場面が多くあり、

当時の自分が母ちゃんとしてどうだったかは別として、

やっぱり、いっしょにいたことに意味があった、

と認める部分が大いにあります。

でも半面、娘は年少の1つ前の学年から保育園に行き出し、

その娘はどうかと言うと、

ものすごくはつらつと集団生活を謳歌していて、

自立も早いし、良かった面も盛りだくさん。

しゃかり気な性格によるところも相当に大きいですが。

ちゅーたんはと言えば、一番早い時期から保育園を経験しましたが、

どの先生にもものすごく可愛がってもらい、

その上、家でも甘え上手という、とってもオイシイ立ち位置をキープしているのであります。

 

 

まさに、今私が痛感しているのは、

「一緒にいた時間の長さだけが、その子の性格に関わる大きな要因にならない」

というこたえ。

その子にかける何かが多ければ多いほどいい、

なんてことは、まったく間違っている、

と思います。

「ほぼ365日24時間いっしょにいる」=「重すぎる愛情、大きすぎる期待」

そういうものと、似ていませんか?

恋人だって、離れてる時間が愛育てることあるじゃありませんか♪

そ~いうことです!

いわゆる大先輩オバチャマたちの言う「3歳神話」説に照らし合わせると、

小さいときは親元で、ということなのでしょうけれど、

なんとなく、

「3歳神話」はもう、今にあってはちょっと別世界の話になってきているのではないかな、

と思うようになってきました。

気軽に子どもを預けることのできる環境が、

どのお母さんにもあるわけじゃない、と思うからです。

近所に、子どもという子どもがワイワイいて、

おつかいに出るにも、隣のおばちゃんに気軽に赤ちゃんをチョットスイマセンとお願いできた「古きよき時代の3歳神話」だとしたら成り立つんでしょうが、

「母ちゃんと子」がほぼ密室状態になって久しい現代での「3歳神話」

だとしたら、

それは「母ちゃんが苦しいだけ」なんじゃないかと。

トイレに行くにも、泣いてついてこられちゃって、

父ちゃんは帰りも遅くてご飯も子どもと母ちゃんだけ・・・

なんていうパターンも大ありです。

一人になる時間なんてありゃしない!!!

だからこそ、

「母ちゃんに、余白をください! のりしろ程度でいいですから!!」

と声を大にして言いたいです。

母ちゃんの余裕こそが、子どももしあわせ♪

そんなら、母ちゃんが笑顔になれる瞬間が、もっと欲しいですね~!!

 

 

先週から、半日ほどチビ太を預けて仕事をする場面がちょこちょこあり、

帰宅してからしみじみ思いました。

外で「自分」に集中したあとは、

子どもの存在って、すんごくカワイイんですよ。

これほんと。

いつもなら腹の立ついたずらをされても

「ほーら、ダメって言ってるでしょ」

って言ってあげられる。

これが、365日24時間だと

「おまえ~~~!!何度やっとるんじゃ~~~!!」

となるわけですよ。

だから私、決めました!

保育園に、春からチビ太を入れます。(空いてれば、の話)

迷うけど、そこにこたえはありません♪

なんくるないさ~なんとかなるさ~