今朝、娘からのプレゼント♡
手作りのミニひまわり! ステキ!
今朝の毎日新聞朝刊、コラムのところに母の日に関する記事が書いてありました。
以下、記事抜き出し↓
女性詩人のジュリア・ウォード・ハウさんは米国で「母の日」を提唱した先駆者だ。
戦争後、夫や子を二度と戦場に送らないと「母の日宣言」を発表した。
同時代に「母の日ワーククラブ」と名付けたボランティア組織で、
乳児の死亡率や戦傷者救済に取り組んだ女性社会活動家がアン・ジャービスだ。
その娘のアンナが「母の日」の創設者とされる。母の遺志を継いで政府を動かした。
1914年にアンの命日(5/9)に近い5月第2日曜が「母の日」と定められた。
イラク戦争で息子を亡くして米軍撤退を求め「反戦の母」と呼ばれたシンディ・シーハンさんは、
平和を希求したハウ遺体の女性の活動を「母の日の永続的な遺産」とたたえた。
日本の女性運動の草分けで、戦後は平和運動に取り組んだ平塚らいてうも「母こそ平和の力です」と訴えた。
子を思う母の気持ちは世界共通だ。
***
数週間にわたって子どもたちに読み聞かせていた『窓際のトットちゃん』が
昨晩でついに終わりになりました。
この本、毎晩少しずつ読み聞かせていたのです。
なん日かかったかなあ~?
4月半ばころから読んでいたような気がするな。
長男は3年生くらいのときに自分で読んで内容を知っていたので、
今回は、主に娘とちゅーたんに。
本が好きなチビ太も一緒に話を聞いていました。
前半と中盤の明るくて笑いの連続のようなネタの宝庫ではみんなで大爆笑。
でも最後のほうになるにつれ戦争色が濃くなってきて
もう、最後はほんとうに切なくてつらいのですが、
子どもたちはどう受け取るかな、と思って読み聞かせていました。
毎晩、布団の中で読んであげていたのですが、
最後は、寝る前にこれではかわいそうだなと思い、
夕食後に読んであげました。
読了後、娘はしばらく黙っていて、気が付いたら泣いていました。
ちゅーたんは神妙な顔つきで黙っていて、そのあと
「せんそーってやだね。だれがやり始めたの?」
と聞いてきました。
するとすかさず日本史が得意な長男が
「これは、仕掛けたのは日本のほうなんだよ。
と説明していました。
「よその国まで、自分の国にしたいと思ったんだね。
たとえば、隣の家まで無理やり自分の家にしようとしたら、
今住んでいる人とケンカになるよね?
それと同じで、言うことを聞かないからって鉄砲とか使ってケンカしたら死人が出るでしょ?それがせんそー。」
と私が補足で説明したらよくわかったようでした。
「おれ、ぜったいせんそーしない」
「そうだよね。自分が死なないために、だれかを殺したら、
それがよそのうちのお父さんだったり、兄弟だったりするんだよ。」
「ぜったいやだ・・・。」
奇しくも、先月の私の誕生日の小学生新聞の一面に、
トットちゃん、すなわち黒柳徹子さんのインタビュー入りの記事が掲載されていました。
”窓際のトットちゃん発刊から40年”という見出しでした。
そう。私が生まれた年に発刊されたんですね。
それで、私の誕生日にたまたま記事が載っていて、
40年のご縁を感じずにはいられませんでした。
40年経ったって、ぜんぜん色あせないこの、トットちゃんの子ども時代の話は
ほんとうに素晴らしい。
黒柳徹子さんは御年87歳だそうで、
言ってみれば私の祖母(子どもたちにとってはひいばあちゃん・89歳)と同世代。
うちの子どもたちは、ひいばあちゃんの子ども時代のことなんて言われても、
全然ピンとこないんでしょうけれど、
それでも、トットちゃんを読む限り、その時代の子どもたちの持ってるものと、
今の子どもの持っているものと、好奇心なんかは今と全然変わらないんですね。
トモエみたいな学校がよかった~!こんな学校に行きたい!
と娘もちゅーたんも口々に言って物語を毎晩聞いてましたから、
そのトモエの最後の場面は、胸にこたえたに違いありません。
昨晩のこのやり取りを経ての、今朝の朝刊の母の日のコラム。
読みながら、やっぱり”母ちゃん”は平和を誰よりも愛してるんだよ、
世界中の母ちゃんが、きっと同じだよ、
としみじみ思った朝でした。
みなさん、よい母の日を!