私は、社会で生きて行く上で大切なのは、
勉強ができるかどうかじゃなく、
コミュニケーション能力なんではないかと思っています。
決して、口下手なのがダメとか、人見知りがダメとか、
そういうことを言っているのではありません。(誤解のありませんように~)
たとえ言葉数は少なくとも、
自分の思いを真摯に伝える努力を惜しまない、
相手の気持ちを考えて思考回路を組み立てる、
そういうことができるかどうかで、
大人になって社会に出てから、
仕事面でも生活面でも、生きやすさにだいぶ大きな差が出るのではないか、
と考えています。
なので、子どもたちには
「勉強はできなくてもかまわない」
と言ってます。
それより、友達と遊んでケンカしてそれでもちゃんと仲直りしたり、
スポーツで悔しい思いをして、それを乗り越えたり、
そういうことのほうが価値があると思って育てています。
ちゅーたんは、言葉の発達がゆっくりだったせいかとても口下手で、
思っていることを言葉にして伝えようとすると、
頭の中がショートしそうになるらしく、
途中で言葉が出なくなって止まってしまうことがよくあります。
言葉の途中で少々どもることもあり、
(それを本人が気にしていないのが幸いなのですが)
思っていることを上手に伝えられません。
なので、保育園でも友達にいじめられたりすると、
悔しいけど咄嗟に応戦しきれず、
結局やられっぱなしになってしまうようです。
年中さんにもなると、女の子はほとんどいっぱしですからね~。
そういうこともあってか、このごろ癇癪をおこして大暴れすることが多々出てきました。
のんびり屋のちゅーたんは、悔し泣きすることも多く、
きょうだいの中でもよく乗り遅れてます。
そこが親の私としてはかわいいところでもあるのですが。
このごろ、ちゅーたん本人の思っていることを、
少々時間がかかっても、ちゃんと本人の言葉で聞き出すことをしてみよう、
という気持ちに私がなり、
ちょっと忙しい手を止めてでも、聞くよう心がけることが続いております。
どんなことがいやだったの?
何をされて、どんな気持ちで泣いてるの?などなど。
最初はうまく言えないことに本人が戸惑っている様子がうかがえましたが、
このごろは少しずつ言えるようになってきました。
こういうことって多分、訓練なのでしょうねー。
脳みそを、そういうふうに使う、という指令を出すようなイメージでしょうか。
のんびりしていて優しいところがちゅーたんのいいところなので、
そこはちゃんと温存しつつ、
コミュニケーションとしての「言葉」で相手に伝えることが、
少しずつ上手になるといいな、と思っています。
ちなみにね、末っ子のチビ太はちゅーたんよりしゃべります・・・。
そして、ちゅーたんを泣かせてます。。。
4人4様ですね~。