イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

暑さランキングの思い出

世の中では、冷房が効いている社内が寒くて・・・

などという悩みがあるそうですが。

わたくし、大人になって仕事をはじめてから、

その手の悩みには、悩まされたことがありません(笑)

 

昨日はこの夏一番の過ごしにくさでしたね。

父ちゃんと現場に出てましたが、

木の上から用事があって私を呼ぶ父ちゃんの顔を振り返った瞬間、

水かぶったような、というのはこのことなんだね、

と爆笑しました。

まるでゲリラ雷雨に見舞われた人のように全身びっしょりな上、

顔も、噴き出した汗で水滴だらけ。

よくこれだけの汗がかけるな、という具合。

かくいう私も、昼で現場をいったん上がったときに自宅で作業着を全部脱いだら、

絞ったらしたたりそうなほどに全身汗まみれでした。

父ちゃんいわく、

「汗が出なくなったらやべえんだ」

とのこと。

「汗が流れおちてるときは、熱中症にはならねえんだよ」

なるほど。

 

それにしても、私も父ちゃんも、

学生時代は炎天下で走らされたりすることもなく、

真っ黒に日焼けするほど部活に打ち込んだこともなく。

父ちゃんはテニス部でしたが、途中でグレてやめているし(笑)

私は中学時代は美術部、高校時代こそ野球部マネでしたが、マネージャーは運動はしないですからね。

 

 

20歳を過ぎて、パン屋ではたらいたときも、

窯が暑くて夏は大変だったなあと思いだします。

その後、自転車での郵便配達。

暑さランキングの中ではあれはほんときつかった!!

私史上はじめて、炎天下での仕事だったので。

でもそのあとにはまだまだランキング上位にあがってくる暑さが待っていました。

農大での真夏のハウス作業!これもすごかったなー。

それから、エアコン普及率全国一位の京都市内にあって、

エアコンがないのはうちだけじゃないの?という

盆地京都での長屋の暮らし(笑)

外気温が42度という日はすっかり夜になっても室内温度が38度もあって、

「ここはイスラマバードか!!」

と叫んだ思い出。当時はお金がほんとになくて、エアコン買えなかったんですよ。

暑さランキング一位はどれかなーと思いながら、昨日は草取りに勤しみました。

 

ま、振り返ってみるとやっぱり京都がいちばん暑かったです。

生まれたばかりの娘と、

まだ3歳だった長男と。

よくぞ睡眠中に熱中症で死ななかったなと今でも思いますね。

「この夏一番の暑さです。」

と40度超えの暑さが予報されたときは、

子ども二人を乗せて車を走らせ郊外まで出て、

駐車場が無料(市内はどこも時間制有料なので郊外まで出る!)

の大型ショッピングモールの本屋で過ごしていました。

暑さがやわらいだ夕方頃に自宅へ戻り、

夕飯の支度を始めると、

ガスコンロの火をつけた時点で台所の気温がK点越えするらしく、

天井付近に取り付けられていた火災探知機が

「ピーピーピー!!!」

とけたたましく鳴り響いたもんです。

ちなみに、火災探知機は60度を感知する、

とのことでしたから、

台所の気温は50度をゆうに超えていたということですな。

暑さにたおれそうなときは、

お風呂に水を張って、

子どもたちと日中何度もドボンと浸かった思い出。

 

夏暑く、冬寒い過酷な環境で過ごした京都での3年間(笑)

お風呂は外にあり、いったん長屋の庭に出ないとお風呂に入れなかったんですよ。

あれを思い出すだけで、

今の生活がどれだけ文化的か、

しみじみ感じるというものです。

人間、底を知っていると強いもんですね。