イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

口が悪い

わたくし、全然自慢にならないですが、

とっても口が悪いです。

私を形容するのにぴったりな言葉を考えていたら、

『がさつ』

という一文字がパッと浮かんでしまいました。

・・・うーん。まさに。

上品とは対極でござる。

 

こと、男子を多めに育てているせいか、

言葉がすでに「べらんめえ」なこと多々。

「情けねえなあ~」

「ほれっ、意地見せろ!」

なんてのは日常茶飯事。

ほんとに、口が悪いったらありません。

 

 

なんだかそのことをちと反省も踏まえて考えていたら、

ずっと前に亡くなった、父方のおばあちゃんのことをふと思い出しました。

父方の実家は墓石をつくる職人で、つまり石材店という商売をしています。

私の父は男ばかり4人兄弟の末っ子で、

長兄(私にとっては伯父)とはなんと20歳もの年の差がありました。

小さかった父が5歳の七五三をする前に、父のお父さんは脳溢血で突然他界。

親の葬式だってのに全然それがわからなくって、

親戚がみんな集まってるのがうれしくてはしゃぎまわる5歳のタケちゃんの姿に、

みんな涙を誘われたらしいです。

長兄は20歳年下の弟を、そりゃもう、自分の子のようにして一生懸命育てました。

私が小さかった当時は、石屋はその伯父(長兄)が第一線で頑張っていました。

 

おばあちゃん、というのは父の母。

石屋の職人集団の中で、昔はおかみさんとしてバリバリ働いていたんでしょうけれど、

私が知っているおばあちゃんは、もう70歳を過ぎていたので、

着物の背中が丸くって、やさしくって、大きなメガネをかけていて、

いつもニコニコして・・・という引退後のおばあちゃん。

私が中学校2年生になるまで、存命でした。

 

そのおばあちゃんが言うことには

「口の悪い人にゃ、悪い人はいない」

というのです。

昔っから付き合いのある職人さんに、ナントカという人が居たらしいのですが、

ときどきふらりとやってきて、

おばあちゃんの顔を見て

「おう、ばばあまだ生きてんのか~」

と顔をみるなりそんな具合。

でも、手にはちゃーんと毎回毎回、おばあちゃんの好物が。

口では「おいばばあ」なんて言ってるけど、おばあちゃんに手土産を欠かさなかったそうです。

「あたしは、あの人ほどやさしい人を知らないよ」

父にいつもそう言っていたそうです。

 

それを思い出して、私のまわりに口の悪い人いたっけかな?

と思いめぐらしてみました。

すると、いたいた!!ものの数秒で思い出しました!

長男を出産した助産院の先生!!(笑)

知る人ぞ知る伝説のA先生!!

 

口が悪い、というかどちらかというと甲州弁がすばらしすぎてそう聞こえてしまうきらいもあるのですが、

本人も認める口の悪さ(笑)

「へえ(←これも甲州弁。標準語だと、やあ、という感じかしら)

 アタシは口が悪いからさ、

 どんだけ建物キレイにしたって、

 お口をキレイにしないとだめじゃんかあ はっはっは」

といつも言っていたんだっけ。

入院中もよく

「へえ、これから買いものに行くサ

 アンタなんか食いてえもんあるけ?」

と声をかけてもらいました。

長男を出産したのはお盆過ぎの8月20日。

季節柄、土地柄、山梨では果物がたくさんとれました。

私が遠慮なく

「ブドウ食べたいです!!」

と元気に返事をしたら

「よしよし、待っていろし」

とニコニコして出かけて行って、

でっかい巨峰をパックごと洗って、値札もついたまま入院の部屋に運んできてくれたことがありましたっけ(笑)

他県から来た私は、とかく直球な甲州弁におっかなびっくりしていたけれど、

今思い起こせば本当に先生はとにかく人情厚い人でした。

あんなに口の悪くてあんなにいい人を他に知りません。

今でもお元気のようで何よりです。

 

そう思うと「口の悪い人に悪い人はいない」、と言ううちのおばあちゃんの言葉は、

真実だなあとしばし感慨にふけりました。

私も口は悪いけど、決して悪い人じゃないつもりなので、

「あの人は口はあんなだけど、悪い人じゃないよ」

ってことでいいのかもな~

などと、自分の欠点を棚に上げてみたりしました。

おばあちゃんが亡くなって、19年かあ・・・・

私と姉が遊びに行くと、

自分の部屋の押し入れから、熨斗の印刷がついたちっさなポチ袋を取り出して、

しわしわの手でおこづかいくれたっけ。

後ろにおばあちゃんの字でちゃーんと「チヨ」と忘れず書いてありました。

なつかしいなあ。