二男、初めてのお誕生日♪
1歳の誕生日は、本当、感慨深い!
どの子たちのときもそうでしたが、
1歳の誕生日は、今この時間はこんなだったなあ~と、
時系列で思い出すことがたくさんあります。
ま、そのくらい記憶も新しいということでしょうね。
3回目のお産ということもあって、
さらには第二子の娘のお産がスムーズだったこともあり、
きっと3人目もそんな感じなんじゃないかな~
なんて楽観していたのです。
予定日の2週間前くらいから2日おきくらいに前駆陣痛(疑似陣痛のようなもの)が夜たびたびあって、
眠れないこともしばしば。
15分おき陣痛が3時間続いたこともありました。
夜明けとともに痛みがおさまってしまうことがほとんどで、
寝不足でたまらず、まいったなあ~という感じが続きました。
こちらも3人目ということもあって、
「ま、産まれるときは産まれるさ」という気持ちでいました。
そして、本当に産まれるとなった日の朝。
明け方4時過ぎに、腰の骨のあいだ(つまり骨盤ですが)にどすんと赤ちゃんの頭がはまった感覚があって
それで目が覚め、
そのあとは、ぎしぎしときしむ音がしそうなくらい、
あっという間に陣痛がやってきました。
手元に置いてある時計を見て、間隔をはかっているとすでに15分。
これは産まれる、と確信し、
5時まで待って助産師さんに電話をかけました。
「6時頃来てくれたらいいですよぉ~」とのんびりした返答が。
子どもたちを起こし、着替えさせ、連れていく準備。
そのときは実家に暮らしていたので、
母が、炊きたてのごはんにひじきふりかけを混ぜて、
子どもたちにおにぎりを持たせてくれたことをよく覚えています。
外はまだ、うすあお闇で、その日は小雨が降っていました。
どんどん陣痛は強くなっていて、
気付けば10分を切っている・・・・
車で産まれちゃったなんてことになりませんように・・・・と思いながら、
いざ家族みんなで助産院へ出発。
車を揺らさないでくれ~と無理な注文を心で叫びながら、
時計とにらめっこ。
さいわい、いつもダンプで混み合う道は早朝だったのでものすごく空いていました。
助産院に定期健診で通う間、一度も閉まったのを見たことがない東武線の踏切があり、
そこもスイスイ通過するつもりが、
なんともその時に限って「カンカンカン・・・・」と踏切が鳴り出し(笑)
さらに、踏切の矢印は「→」に「←」も加わって2台待ち・・!!
人生ってそんなもんですねえ~
待っている間、陣痛は5分間隔に。
あまりの痛さにうめき声がもれるほどの母をしり目に、
テッチャンの長男は「スペーシアが通るかなあ~♪」とうれしそう・・・。
「なんの電車だろうなあ~」とハンドルを抱えながらのんびりと長男の言葉に答えるサムライくん・・・
ほんとう、このときの踏切を待つ時間というのは忘れられない思い出で、
いろんなことをすぐに忘れてしまうサムライくんも、
「あの踏切がいつになく長かったのは、なんともいえない感じだったな」と
よ~く覚えていると言っていました。
のらりくらり、20分ほどで助産院まで到着。
車から降りた自分の腕に霧雨があたり、
あせった気持ちが冷まされていくようで
気持ちよかったことも覚えています。
いざ助産院にも到着し、スタンバイOKとなったら陣痛はどんどん強くなり、
あっという間に産まれる・・・と全員が思っていました。
頭も見えた、ということになり、
さあさ、あと15分もすれば出てくるね~という雰囲気。
が、なぜか出てこない。
あれれれ・・・?
いちばん最後、赤ちゃんは頭を回転して出てくるのだそうですが、
その回転がどうも引っかかっているとのこと。
自然に回転するのを待ちなんと1時間。
いや、1時間と書くのは簡単ですが、
1~2分おきに陣痛が来続けいてるので、
つまりはその間にものすご~いきつい陣痛が30回くらい(笑)
こういう場合、赤ちゃんの心拍がリズム良く力強い場合はいいとして、
陣痛に赤ちゃんが耐えているあいだに、赤ちゃん自身が体力が落ちてくることがあり、
そうなると、危険なため
ここまで陣痛で苦しんだ結果、緊急帝王切開、という展開もあり得るとのこと。
でもだいたい、病院までの搬送の救急車の中で産まれてしまうことがしばしば、だそうで、
私の場合、赤ちゃんはものすごく元気に陣痛に耐えてくれていたので、
もう少し頑張ろうか、という話になりました。
助産師さんが診てくれた結果、
出てこない原因が判明。
通常、赤ちゃんは産道をとおるときには胸の前で手をクロスしているのだそうですが、
なにを間違ったか、今まさに生まれようとしているわが家の赤ちゃんは、
手だけちょっと上にずらしてしまい、
右手を自分の左のほっぺに当てているとのこと。
ただでさえ頭の大きな子で、
(生まれてから計測したら35cm。これは新生児のサイズのMAX。
参考までに、めっちゃ産みやすかった娘は頭囲は33cm。)
骨盤のサイズぴったりの頭に、プラスアルファで手の厚みが加わったんでは、
さすがに回転が引っかかっちゃって・・・・という状態だとわかりました。
搬送しようか、
どうしようか・・・と逡巡する助産師さん。
どーなっちゃうんだ私と赤ん坊・・・と不安になる私のそばで、
「ね~まだなの~?」と飽きて跳ねまわる長男と娘・・・。
骨盤が動くと出てくるかもしれない、ということになり、
陣痛の合間を見て、
階段を上り下りしてみよう、と言われ、
階下へ降り、
赤ちゃんが元気なのをエコーで確認して、
さらに階上へ。
階段を支えなしで自力でのぼる私を見て、
ヘルプで来ていた助産師さんがうちのサムライくんに
「このかた普段、鍛えているの?!ふつう、こんな長時間この陣痛に耐えていたら、
立つのすらやっとなんだよ?!」
と驚きの声をかけていたのが印象的でした。
あと15分!と言われたはずが3時間経過し、
もう、身も心も限界で、「くじけそうです・・・」と弱音を吐いた頃、
「赤ちゃんも体力が心配になってきたし、もう、産んでもらおう!!」と腹を決めたというセリフが助産師さんからでて、
「次の陣痛がきたらいきんでね!」と
ほんの少し力をこめてお腹の上から赤ちゃんのお尻であろう部分を押して、
もう一人のヘルプの助産師さんが私の体勢を変え、
「いきんでいいですよ!!」と声がかかり、
ついに頭が出ました!!
そのままさらに体勢を変えてもらい、
「さ、今から出てくるよ感動の瞬間だよー!」
と助産師さんが言ってくれ
助産師さんの介助で肩が出ると
するん、と赤ちゃんのお腹が出て、足が出て・・・
その瞬間、そばで見ていた当時2歳3カ月の娘が
「ぎゃー!!!!」と絶叫!
産まれたばかりの赤ちゃんは、たしかに皮膚の色が肌色というより紫色なんですね。
こわかったのでしょう。
長男は、妹の誕生も見ていたので2度目ということもあり、
でたー!と拍手してよろこんでいました。
初めてのご対面!
性別はどっちですか??とたずねたら、
サムライくんが「ついてるよ~」と(笑)
あったかくてしっとりした赤ちゃんを胸へ乗せてもらいながら、
やっと出たねー、つらかったねほんとによくがんばったねーと
何度も赤ちゃんに声をかけました。
娘はまだこわくて泣き叫び、
サムライくんは別室でなぐさめる羽目になり、
へその緒は長男がニコニコしながら切ってくれました!
大格闘の末に産まれた赤ちゃん。
私は腕も脚も、顔の筋肉も、すべて使い果たし、
起きることも全然できないくらい消耗して(笑)
声を出すのがやっと、という感じでした。
こんなに過酷なお産でも、
心拍が落ちなかったなんて、とっても強い子だね、と言ってもらい、
私も、本当にその通りだなと思って、
祖父のおかげだなーと産んだ瞬間に感じたので、
私の祖父の名前を一字もらって名前をつけました。
産んだあとは、本当に起きることも半日以上できなくて、
這って移動(笑)
呼吸するたびに肋骨の内側あたりの筋肉がきしむようにしんどく、
精魂尽き果てる、というのは今の私の状態だ、と何度も思いました。
ちなみに、私は3回のお産で一度も、叫んだことはありません。
大声でうめくことも、痛い~!と言ったこともありません。
なんでか?
「お産のときに、人間の底が見える、と言われたことがあってね、
私は3回お産したけど一度も叫ばなかったし痛いとも言わなかったわ」
と話してくれた恩師の言葉がいつも頭にあったから(笑)!
負けてたまるか、その一心で・・・!!
そんなこんなで産まれた二男。
あのときの痛さ、苦しさ、思い出そうと思っても、
な~んでか、半分くらいしか思い出せない。
思い出すのは、助産院の窓から見えた明るんでいく空と、
握りしめたビーズクッションの感触ばかり。
お産って、そうやってわすれていくからこそ、
何度も産めるんですよきっと。
そうでなきゃ、「もう二度とイヤ!!」という体験です(笑)