娘、7日で3歳になりました♪
長男と母ちゃんの手作りケーキでお祝い!
白いのは生クリームじゃなく、水切りヨーグルトです♪
長男、卵割ってくれてありがとう。
東日本大震災の年に、京都で生まれた娘。
震災時、私は8カ月の大きなおなかを抱えて、
暗澹たる気持ちで故郷の様子を聞きました。
当時、うちにはテレビがなかったので、何がおこったのかわからない状況で,
NHKラジオを大きな音でかけっぱなしにしても
何が起こったか結局わからないままで、
とにかく最大震度が大きくて、
それに津波があった、
夫の実家近くで建物が倒壊して死者が1名出たとの報道があり、
それを聞いてびっくりして、
当時長屋に住んでいたのですが、私は大きなおなかに長男を抱っこしてお隣に駆け込み
「すみませんがテレビを見せてもらえないでしょうか・・・」と頼んで見せてもらったことを思い出します。
奥さんがとてもいい方で、どうぞどうぞとダイニングテーブルのいすをすすめてくれて、
困ったことになっちゃったねえ、でも、テレビでも同じこと繰り返してしゃべっているだけで、なんやわからへんね、和歌山でも津波観測、としか言わあらへんよ、
そんなやりとりをしたのを思い出します。
娘の誕生日と震災の記憶は、ワンセットです。
お産当日、陣痛がきて、助産院に向かうため車に乗るときに、
お隣の家のあじさいが、昨日まで咲いていなかったのに
薄水色と淡い黄色の花を咲かせていたことを思い出します。
まだ、夜が明けきらない午前5時台、
夫の運転する車で、いつもは混雑する三条通りを走り抜けました。
対向車もほとんどいなくて、
街はまだ、うす青色の絵具をとかしたような色で、
そこに、お社の赤い鳥居のところだけ灯籠がだいだい色に点いていて、
なんとも「ここにかみさまあり」という雰囲気で、
私は、おなかいたいなあ・・・・と思いながらダッシュボードにつかまりつつ、
きれいだな・・・と思ってそれを眺めたことをよく覚えています。
娘は、助産院到着後、1時間足らずで生まれました。
私は子どもたち3人を自然分娩で産みましたが、
娘のお産が、いちばん楽で、いちばん平和でした。
産道をとおってぐるんと回転して出てくるのが、産んでいる私でもわかるほどでした。
2912gだったし、頭も33cmと小振りだったので、
するんと出てきてくれたんですねえ。
長男は初産だったのに頭が35cm(赤ちゃんとしてはmaxのサイズ)あって3200g、8時間かかりました。
二男はハプニングがあり頭が長いこと出なかったんだよねえ・・・
小さくて白雪姫みたいだなと思って眺めていた生まれたての娘。
どんどん大きくなり今は体重12kg。
無駄に泣かずよく眠り、
ニコニコして癒し系だった娘ですが・・・・・
現在。
洋服がちょっと濡れただけで「ぬれたあああ!!」と大泣きして着替えを要求、
「ななな食べてもいい?」と承諾を求めたあと(バナナをななな、だと思っている)自分でバナナを剥き、
剥いている途中でバナナが折れて
「これじゃやだーーーー!!! あたらしいのたべるうううう!!!」と絶叫。
絶叫ついでにオシッコももれちゃって、
自分でパンツはきかえなさーいと私が声をかけたら
「ヤダーーーーー!!!!」と絶叫して床にできたおしっこの水たまりにひれ伏す。。。。
とまあ、こんな日常(笑)
すごいですよ、娘。 自己主張の鬼!
すべてに「イヤ!!」と返事。
女子ですが、へん顔めっちゃするし、
パンツ一丁だいすき。
トミカで無実の弟の頭をなぐり、
兄にはグーパンチで応戦!
その姿に父ちゃん一言。
「将来は、女子プロレスラーか・・・・」
魔の2歳児とはよく言うけれど、3歳も相当のものです。
長男もそうだった・・・・
娘、元気に3歳を迎えられて何よりです♪