イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

がんばるのやめたんです

 日々がんばって歯を食いしばっていると、

イレギュラーなことが出てきてうまくいかないときに、

「こんなに一生懸命やってんのに、なんでうまくいかないの・・・・!」

と大泣きしてむきになっちゃう、

そんなこと、よくあります。

いや、よくありました。

 

かつて私は、そういう人でしたんで、

がんばることがすべてで、

がんばることでゴールに近づけると思っていました。

前向きになることで、ぜんぶ苦境は打破できると思っていたし、

状況はいつも自分次第なんだと、”気負って”暮らしていました。

でもねー、手にどっさり荷物を持っていると、

どんなに空がきれいでも、

「あ~生きてるっていいね~」って心から思うことができないもんです。

 

この1~2年で私はほんとに、がんばるのをやめました。

チビ太を出産後、

当然ながら子ども4人もいたらあれもこれもなんて、できるわけないじゃん、

と色んなものを放棄したのが大きなキッカケ。

がんばるのをやめたとたん、

自分のことが、超大好きになりました(笑)

20代の頃は、がんばってる自分が大好きだったはずなのに!

  

思い返せば京都で長男3歳と、生まれたての娘を育てていたあのときが、

いちばん、ねじを巻きすぎて苦しかったです。

子育てなんて、がんばっても答えなんてないし、

一日のうちで、ハッピーだと思える瞬間なんてあるかないかで、

子どもが運良く二人いっぺんに昼寝した奇跡の数十分くらいしか、

「あ~~~~しあわせ~~!」

と思えなかった。

いっそ全部すてて逃げちゃいたいと思うこともよくありました。

父ちゃんも修行中で毎日本人も悩んでいたし、

親方や兄弟子にいじめられて、よく泣いていました。

自分はさておき、この人をなんとかしてあげなくちゃ、

私にできることはなんでもしてあげなくちゃ・・・・!

子育てのほかに父ちゃん育てもして、

文字通り「きりきりまい」ってやつでしたね。

でも、変な現象なんですが、

困ったことが起こるたびに「生きてるってこういうことか?」

とちょっと思ったりしていて、

苦労を感じるたびに、

生きてる心地がしていたのです。 

 

 

 はてさて、なんでこんなこと書いているかっていうと、

先日、ストレスで体調を崩した友人と話していて

「母ちゃんと言えども、自分がいちばん大切だよ」

とサラっと彼女に言っちゃう自分がいたからです。

言ってて自分で

「おや?」と思いました。

友人も、”そうは言っても、やっぱり子どもと夫優先だし”と

言葉には出さなくても、ほっぺたにそう書いてありました。

そうだよね、そうだと思う!

自分より、家族優先になっちゃうんだよね。

 

そんでもって家に帰ってきてから、

「自分がいちばん大切」という、

自分がするりと言ったその言葉の「真髄」はどこなのかな~

と考えました。

さらに、なんで自分はさらに「おや?」って思ったんだろうか?

と、家事しながらなにげなく考えていました。

そして、

「あ、これだ」

と探り当てました。

 

ああそうか。

”母ちゃんは家族のため”ってのが一番じゃなきゃ、

なんか「いい母ちゃんじゃないよねえ?」

という、見えないなにかに引っかかってしまう。

誰にも縛られてないはずなのに、

どこか真面目な自分がそうと決めちゃって、

さらには誰かが決めて、なんか世間でまかり通っている

ジョーシキ”ってやつ!

 

家族のため、

子どものため、

夫のため・・・・

 

自分が我慢して、それでうまくいくなら、

母ちゃんは自分の気持ちを押し殺してでも、

家族じゅうをうまく調整しなくっちゃいけない・・・・・・

・・・・のか?

ホント?!!

そんなの、どう???!!

今の私なら、イヤ!! と言います。

でも、数年前の私なら

それも母ちゃんだからしょうがない、と思ったんではないかと思います。

 

 

そんでもって、さらに大事なことに気が付きました。

「家族のため、家族のため」って呪文のようにやっていると、

なんと、その反動で、裏ではすごいことが起きていて、

「これだけいろいろしているんだから、家族から感謝されたい」

という、びっくりするようなどす黒い気持ちが積もっているということ・・・!

家族のためにいろいろすればするほど、

身をささげて、気持ちも体力も、家族のために使えば使うほど、

いい母ちゃん度は自分の中であがっていくにもかかわらず、

その、「いい母ちゃんに感謝して!!!!」と思ってしまうという、

信じられない事実。

これは、見たくない真実ですねー。

 

わたくし、

この1~2年でたいへん不良になりましたので、

家族のためにがんばらなくなりましたんで、

家族が(特に父ちゃん!)感謝してくれなくても、

なんとも思わなくなりました(笑)

いや、感謝されればもちろんうれしいんだけど、

ありがとうにまさる魔法のことばはないんだけど、

でも、

「ありがとうって、言われてねえじゃねえかよおおおおおお!!!」

と心の中で叫ばなくなりました。

 

「だって、私、お礼言われるようなことしてないし、

 むしろ、父ちゃんゴメンネってことのほうがはるかに多いかんじだわ」

と思うことが、とっても増えてきました(笑)

 

 

 母ちゃんは母ちゃんだけど、

それ以前に「わたし」です。

「わたし」を自由に楽しませてあげられるのは、

自分しかいないと思いませんか。

あの頃の私は、母ちゃんであるために涙をこらえて笑っていたんだなあ。

がんばるのやめたら、ほんとの自分に会えました。

母ちゃんのわらじ、

わたしのわらじ、

はきかえる靴がたくさんあるのは、しあわせなことです。

ときどきでもいいから、

「わたしのわらじ」を用意して外に出ませんか。

ちなみに、”いい母ちゃん”のわらじは、私はもうどっかにぶん投げちゃいましたけどね。