イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

おばあさんの松

「松に、枯れ葉が出てしまって・・・」

との電話を、ご新規のお客様より受けました。

夫に代わって私が電話で状況を聞くにつけ、

おそらくマツクイムシの害だろう、とは素人の私でも予測がついたものの、

電話ではどのくらいの状況なのかはわかりませんでした。

 

お客様の住所をうかがったところ、

市内でも城下町の面影残るスポット。

しかも松は樹齢50年だということなのです。

きっと大事にしている松だろうね、

回復させてあげられるといいね

と、私はお客様の話を詳しく説明しながら父ちゃんに話しました。

 

八ヶ岳時代にお世話になった親方は、樹木のお医者さん、つまり樹木医で、

日本三大桜のひとつが枯れかかったときに、見事にそれを回復させ、咲かせた人です。

樹木の治療というのは父ちゃんも当時、手伝いとして仕事に参加していました。

舞鶴の松、という鶴が舞っているように見える立派な松が近隣にあり、

親方はその治療も任されていたそうですが、治療の甲斐なく枯れたことがありました。

やはりマツクイムシだったそうです。 

マツクイムシの害は、カミキリムシが媒介する病気で、

カミキリムシが噛みついた箇所から線虫が入って

線虫は幹にまわって松を枯らすのだそうです。

それも、徐々にゆっくりと枯れていくのではなく、

その年の初夏に入ったマツクイで、その秋には枯れ始め、

青々としていたはずの松はものの数カ月であっという間に枯れてしまいます。 

 

マツクイムシの害である場合、枯れた部分は回復することは不可能、

ただし、マツクイの線虫がまわってない枝を残すことが可能で、

枯れた枝を切り落とし、幹に薬を打ってやれば生き返ることがあるとのこと。

間に合えば、ですが。 

 

お電話から数日が過ぎ、父ちゃんはお客様宅にうかがいました。

着いてすぐに松を見ると、

枯れてない枝、つまり緑色の葉などどこにもなく、

全身枯れてなおも立っている悲しい姿の松。。。

父ちゃんは、枯れた部分の切除と樹の幹に薬をうつ治療で、もしかしたら間に合うかも、

と思っていたみたいですが、

その余地はどこにもなく、

回復の見込みがない状態でした。

父ちゃんの想像をはるかにこえた真っ茶色の松がそこにはありました・・・。

 

施主さんであるおばあさんが娘さんといっしょにお庭に出てきてくださったので、

残念だけれど、この松はもう回復させることができない状態になってしまっている、

と伝えると、

おばあさんはあふれる涙とともに手で顔をおおってしまったそうです。

父ちゃんはその様子を見て驚き、

「この世の中にあって、1本の樹をこんなに大切にしている人がいたんだ・・・!」と自分まで胸が一杯になったそうです。

きっと、大切にしていた思い出の松だったのでしょう。

 

おばあさんは現在80歳を超え、若いころには芸者さんをなさっていたそう。

私が最初のお電話で話をしたときに、

気風のいい話し方をする方だなという印象だったのは当たっていました。

芸者さん!道理で!

私は膝を打ちました。

歯切れのいい話し方をなさる方だったので、60代くらいと思っていたら80歳超えと父ちゃんから聞いてまた驚きました。

 

昔っからここに住んでいたのよ、

松は、こーんな腕みたいに幹が細いときに植えたの、と話してくださったそうです。

50年・・・おばあさんがまだ私くらいの頃に植えたんだな、

と思うとなんとも人ごととは思えない気持ちになってきました。

どんな思い出があるのかな・・・

おばあさんの半生に寄り添ってきたんだろう、そう思うとなんとも、松が手遅れだったことが悔やまれました。

毎年欠かさず手入れをしているなら、5月の芽摘み時期に庭師はカミキリムシの存在に気付くはず、とは父ちゃんの弁。

カミキリムシを退治する薬剤の散布で、マツクイはほぼ防げるものなのだそうです。

さらに、あっという間に枯れるとはいえ、全体が一気にではなく、

線虫がまわった箇所から枯れてくるため、

ほんの少し枯れてきた時点で「おや?」とお客さんも気がつくものなのです。

 

おばあさんも、大事にしている松だったので夏を過ぎて葉の様子がおかしいことに気が付き、

普段手入れしてもらっている人に問い合わせたのだそうです。

すると、自分の手落ちで松が枯れてきたと言われるのを恐れたその人は

「夏の暑さのせいじゃないのか、よくわからない」などとお茶を濁して取り合ってくれなかったのだとか。

そのときに、マツクイの害だとわかれば間に合っていたかもしれないのですが・・・。

 

いろいろな話をしながら、

枯れた松が倒れると危険でもあるため、残念だけれど伐るしかないということになり、

おばあさんも気持ちを切り替えてくれ、

「この松、あなたみたいな庭師さんにもっと早く会えていたら枯れなかったのね」

と言ってくださり、ありがたいことに、松の伐採の仕事をうちに依頼してくださいました。

さらに、松のあった場所に槇を植えたいとのご要望も!

松が枯れてしまったことは本当に残念でしたが、

おばあさんの、「あなたみたいな庭師さんに・・・」

と言ってくださったその一言は、

私は父ちゃんの、辛かった修行時代まで照らしてくれる気持ちがして、

なんとも胸がいっぱいになりました。

 

実は、このお客様のところに行くまで、

家の中ではちょっとしたストーリーがありました。

今日、松の枯れ葉の相談があった、と父ちゃんに話したときに、

「おれが手入れしてた松じゃないし、正直、気乗りしねえな」

と言ったのです。

「おれが今まで見てきた松だってんならわかるけど、

 他に誰か、手入れは頼んでたんだろ?」と。

 

でも、わざわざうちのホームページ見て電話かけてきてくれてるからには、

なにか思うところあって父ちゃんを選んでくれてるわけだから・・・

と思い、私がそう伝えると、

父ちゃんは苦い顔をして

「おめえにゃわかんねえだろうけど、樹の治療ってよ、金はかかりました、でも樹は枯れました、ってなったときに、

 どんぐらい気まずいかわかるか?

 お客さんにしてみりゃ、損した気分にしかならねえじゃねえか」

と。

なるほどね・・・言われてみればそうかもしれない・・・。

「状態は見に行くけど、うけるかどうかは迷う」とも。

 

すると、そばでプラレールを繋げながら両親のやり取りを聞いていた長男がふと顔をあげ、

「父ちゃん、なんのために植木屋やってんだよ!」

と大きな声で言いました。

すかさず「うるせえ!」と返すに違いないと思った次の瞬間、

父ちゃんはふと黙りこみ真剣な顔になって、

「・・・ほんとだな、おれ、なんのために植木屋やってんだろうな、

 ・・・・そうだよな、松、どうにかしてやんねえとな・・・よし!」

なんと長男の喝で、父ちゃんはネガティブな心が切り替わったのです。

 

そんなやり取りを経て、父ちゃんはおばあさんの松と出会いました。

誰かに必要とされること、

それは、仕事をこえているな、と感じます。

樹齢何百年という立派な松も、マツクイが入ればあっという間に枯れてしまうそうです。

そういう松を何本も見た、と父ちゃんは言います。

庭師は衰退産業だ、といろいろな人が言い、

いま、造園を経営している社長さんも、会えばそう言うそうです。

たしかに、剪定や工事で何百万というお金が動いた時代は終わったかもしれませんが、

誰かの大切な庭を、思い出の木をまもるのには、

やはり庭師は必要であり希少な存在になるに違いないと感じます。

いいことばかりじゃないけど、

きっとつらいときもあるに違いないけど、

伝統産業をまもる父ちゃんを支えたい、

私もがんばろう、

おばあさんの松に出会って、そう感じました。