イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

おばちゃん先生

私は、小学校1年生の夏から書道を習っていました。

小学校の前にある、恐ろしいほど古い公民館で、

姉や友達といっしょに習っていました。

畳すら入っていない公民館は、

トイレもぼっとん、電気に至っては蛍光灯だったのかどうかともいえる具合の古さで、

戦中からあったのでは?と思えるほどのいでたちでした。

今考えてもおそろしく古い建物で、

うす暗い板張りの、小屋みたいな部屋(部屋、とも呼べないくらいの)で

学校帰りにみーんな楽しくお習字していました。

 

公民館の新築と同時に、書道教室は今度はお寺さんへと移動します。

学区内にある、すこし離れた場所のお寺で、

こちらも残念ながら畳はナシ(笑)

板張りにござを敷いた教室でした。

考えてみたら、畳だと墨で汚すので先生はあえて板張りでよしとしていたのでしょう。

 

それから月日は流れ、教室もまた移動、

私たちも大きくなり、

小学生から中学生になるのを機にみんなやめてしまい、

人数は減っていきました。

部活をいっしょうけんめいやらなかった私は、

中学生になっても部活なんてまったく関係なく書道教室に通い、

高校生になって野球部のマネージャーをするようになっても、

月曜日だけは御免とばかり、

グラウンドに麦茶のジャグだけは用意してそそくさと退散し、

道教室へと向かったものでした。

 

なにがそんなによかったのか、

書道がだいすき!書道命!というわけでもなし、

ほんとうになんとなく、

でも、せっせと通ったのです。

 

大人になって、働くようになってからも、

道教室通いは続きました。

さすがに学生の放課後という時間帯では合わなくなり、

週末に、先生の自宅の教室へとマイカーで。

 

農大で寮生活のときも、マイカーで(笑)

 

なにがそんなに魅力的だったのか?とたずねられても、

魅力的だということもなく、

理由はほぼなかったようにおもいます。

 

今思い返してみると、「習慣」だったのかもしれません。

 

おじちゃん先生は、怒ったことのない人でした。

とにかくほめ、

だめなところを指摘せず、

アドバイスだけして「もう一枚ていねいに書いたら、おしまいねー」と言って子どもたちに接していました。

ふざけているどんなやんちゃな子のことも、

「終わったら、外で遊んでいいからね がんばって書いちゃいなさい」

と言って、厳しく叱るようなことはいっさいありませんでした。

 

 

さて、私の書道教室通いは、小学校1年生からなんと18年間、

結婚して八ヶ岳へ行ってしまうまで続きました。

おじちゃん先生も、

おばちゃん先生も、

そして、代替わりして娘さん先生になり、

その娘さん先生も、

私にとっては、近くの親戚のひとたち、

とそんな気持ちでした。

 

結婚して長野へ行く、と決まった年に、

念願だった師範の試験に合格。

そのときに、仕上げで書いた私の字を、どうれどうれ、と見に来たおじちゃん先生が

「先生より、うまくなっちゃったなぁ~」と

のんびりしたあたたかい声でにこにこしながら言ったことを思い出します。

 

おじちゃん先生は、2年前の早春に、

なんの患いもせずほんとうに、みんながおどろくくらいあっけなく、

なくなってしまいました。

 

そしてお連れ合いのおばちゃん先生は、

いつもニコニコと元気だったにもかかわらず、

おじちゃん先生が亡くなったのとほぼ同時に病にかかり、

2年間、自宅で手厚い看病を受けましたが、

残念ながら、今週亡くなってしまいました。

 

私は、お正月に帰省するといつも先生宅へ遊びに行きました。

子どもが生まれてからは子どもを連れ、

そうすると、子ども好きのおばちゃん先生が、

どうれどうれと抱っこしてくれて、

赤ちゃんだったうちの子はみーんな、

おばちゃん先生のあったかい腕の中で気持ちよくなって眠ってしまいました。

かわいいねえ、かわいいねえといつまでも抱っこしてくれて、

ほんとうに、子守りのかみさまのような人でした。

 

 

私は、親や、祖母や祖父、親戚きょうだい、そういう人たちのほかにも、

とてもたくさんの人に囲まれて暮らしている、

と、おばちゃん先生の訃報にふれて心からそう思いました。

おばちゃん先生も、おじちゃん先生も、私にとっては本当の祖父でも祖母でもないけれど、

でも、本当に大切で大好きな人たちでした。

私には、年上の大好きな人たちが多くて、

自分より40歳も50歳も年上の人たちに、ほんとうにかわいがってもらい、

いろんなことを教えてもらい、生きています。

 

じんせい、と言うと大げさですが、

私のじんせいは、たぶん、

たくさんの、そのひとたちの

生き方や、心もち、そういうものをわけてもらって、

たくさんのそれが私のにおいみたいなものになって、

それで、それをまた、

年下のひとたちにちょっと残していく、

そういうことなのかもしれないなあ、

と昨日、おばちゃん先生の旅立ちに添いながら感じました。

 

 

ふと、ある時に、だれかのことを思い出す、

それは、遠くにいても、近くにいても、

その人に会えるかも、もう会えないかも、

違いはないのだなと思いました。

 

おばちゃん先生、ありがとう。

おじちゃん先生に、無事に会えたかなー。