イバラキ農村風呂

ゆっくりしてけ~

ひいばあちゃん

うちの子どもたちにとってのひいばあちゃんという人は、私の母の母、それから夫の母の母が健在です。

私のほうのひいばあちゃん(私から見ると祖母ですが)、その人は今現在私たち家族が住んでいる自宅に、去年12月まで暮らしていた人。

夫のほうのひいばあちゃんは90歳を超えました。

その、夫のほうのひいばあちゃんが、去年胃がんで手術したということは知らされていましたが、先日夫の実家より電話があり、もう、余命いくばくもないということなのです。

手術後は自宅に暮らし、伯母と、伯母の子と3人で暮らしていて、今現在は寝たきりなわけでもなく、おしゃべりも普通にできるし、小康状態。ただ、食事だけは流動食のようなものしか食べられず、そうなってくると、栄養の面からも、体力は衰えるばかりで、医者いわくあと1~3か月くらいしか今の状態を保てないとのことなのだそうです。

 

原発事故の年に生まれたうちの娘。そのあとに生まれた二男。

夫の故郷は除染地域にもなってしまった100キロ圏。

そんなわけで、事故以来帰郷していません。ひいばあちゃんに抱っこしてもらったのは長男だけ。あとに生まれた二人を、見せに行きたいです。

来月、家族みんなでお見舞いに行ってこようと思います。

行かなければ後悔してしまうと思うので。

 

 

この家の二階の天袋から、雛人形と鎧兜が出てきました!

亡き祖父からいとこたちに贈られたもの。私も、小さい頃に見た記憶のあるものでした。

実に何十年ぶり!!という下界の光を浴びた雛人形

木目込み、という人形で、触るとじっさい木の堅いかんじがするのですね。

木の上に、和の布を張り付けたもの。

とても上品です。

お内裏様とお雛様の一対だけのお飾りで、その他台や屏風などもありましたが飾るスペースを確保できなかったので、いとこが置いていったパソコンワークデスクの前に、人形だけ出しました。

兜は、端午の節句のときに出すつもりです。

何十年もしまってあったわりには、人形も兜も新品のようで、傷みが全然ありませんでした。まるで去年買ったもののようです。

 

昨日、雛人形をながめながら思いました。

私は、この家に暮らすことで、亡き祖父や祖母(まだまだとっても元気!)の思い出とともに、しかも、自分の幼いころの記憶ともいっしょに生活しているんだな、と。

考えてみれば、昔は大家族で暮らしていて、しかももののない時代で、

季節になれば、昔からの道具が出てきて季節の仕事をし、

鍋やかまども昔からのもので、

これは誰それがどんなときに買ったもので、そのときこんなことがあったよ、

なんて話が、ひょんなことから語られたのだろうな、と想像しました。

どんなモノにも、ストーリーがあった時代なんじゃないかと。

 

私が、雛人形を大事に娘に伝え、またその子どもに・・・と渡していけたら、

ストーリーは消えないんだなと思いました。

 

この家は築40年超え。

あちこち修復しているし大工さんが建てたものなので、傷みは少ないですが、一体どのくらいもつのかは疑問です。

でも、もうここから出ることはないし、ちょっとずつ直しながら、柱の傷や落書きとともに大事に住み継いでいきたいなと思っています。

祖父母の思い出をからだいっぱに詰め込んで、モノも思い出も次の世代に渡したいです。